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仕事に差し障りがでた。息子を庇った時の傷が原因だ。 引退も考えたが、まだ早い。まだその時ではない。ごまかしごまかし仕事を続けた、続けねばいけない理由があった。 やがて妻が病に倒れた。 治療には莫大な費用がかかる。 息子が献身的に看病している間、私は仕事に精を出した。もっと稼がなければ、もっと殺さなければ。妻は私には過ぎた女性だ、私なんかと一緒にならなければもっと幸せになれたはずだ。 ボスに頼み込んで金を借り、嵩む一方の治療費にあてた。 「後は頼んだ」 「また殺しにいくのか、義母(かあ)さんがどんな状態かわかってるだろ、そばにいてやれよ!」 「延命には金がいる」 「無駄に苦しむのは望んでない、家族に看取られて安らかに逝きたいだけなんだ」 「安楽死させろとでもいうのか!」 「鎮静剤が切れるとあんたを呼ぶんだ、いないと不安がるんだ、僕じゃだめなんだよ!」 肩の後遺症の事は誰にも話してない。妻も息子も知らない。追い縋る息子を振り切り、鈍く疼く肩を掴んで家を出た。母が死んだのもこんな雨の日だった、家に帰ると既に冷たくなっていた……。 正確には義母か。 本当の母は殺されたのだから。 『お願いジョヴァンニ、あなたまで道を踏み外さないで、あの人の二の舞にならないで』 すまない義母(かあ)さん、手遅れだ。 以前の私には信念があった。 幼い子供や赤ん坊、妊婦は殺さない。 会計士に息子がいる事実は現場に行くまで伏せられていた。 騙し討ちのように送り込まれた家で小さい男の子に出会い、ボスにはめられたのを知った。目撃者は消せ、証人は消せ、禍根の芽は摘め、家族全員根絶やしにしろ。 私は殺し屋だが信念があった。 今、それを捨てようとしている。 金さえ転がりこむならどんな汚れ仕事にも喜んで手を染める、それで妻が助かるなら……。 『いいかジョヴァンニ、殺し屋として道に迷ったら銃口を見詰めて判断を仰げ。銃口に住んでる天使か悪魔か、どちらかが道を指し示してくれる。俺にはずっと天使と悪魔のささやきが聞こえてるんだ、天使が止めて悪魔が焚き付けるくり返し、姿は見えずともささやきは聞こえ続ける、俺には撃鉄の上でタップダンスを踊る悪魔だって見えるんだ。死ぬべきでない人間に銃を向けると天使が踏ん張って通せんぼする、だから殺せないんだ、絶対に』 雨水を蹴散らし現場に急ぎながら、悪魔が微笑みかけている気がして、ふとリボルバーの銃口を覗きこむ。 やはり何も見えない。 闇だけだ。 銃口に住む天使と悪魔の話は父のハッタリで、人は死んだら消えてなくなるだけなのだ。
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