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この地域の神社には狼伝説がある。なんでもこの付近に住み着いていた狼が、神社を襲った物の怪を退治したという。半世紀ほど前、神社近くの旧家の蔵から発見された古文書で明らかとなった。
以来、この神社は狼神社として知られている。正確には、町おこしの一環として推している。狛犬が狼、ということはなく普通の狛犬だが、今では別に狼の像も建っている。これも町おこしの一環である。
■
祭りが近い。夏といえば祭りだ。
「山といえば川、みたいな?」
それはいつも反対のことを言うというような天邪鬼的な意味らしいぞ。それより、
「心を読むな」
「いや。声に出てたし」
そんな馬鹿な。
「馬鹿はあんたよ」
……。なんも言えねぇ。
「アイス食べる?」
「食べる」
「待ってて」
同い年の幼なじみは立ち上がり、居間を出ていく。この春に高校を卒業し、彼女は大学生に、俺は市役所勤務となった。
「はい」
なんとかダッツ。ラクトアイスでもアイスミルクでもない高いやつ。
「どーも」
いただきます。
「うまい。ただ夏は安いかき氷的なやつのほうがうまいよな」
「食べてから言うなや」
「悪気はなかった」
「まあいいわ。食べたね?」
彼女は不敵な笑みを浮かべる。
「んあ?」
「蔵の整理頼まれてんの。手伝って。それはお礼」
そう言って食べかけのアイスを指差す。
「食べてから言うなや……!」
罠だった。
■
彼女の家の敷地は広く、裏手には蔵がある。
漆喰塗りの重く分厚い扉を開ける。その内側にはさらに引き戸が2枚あり、順に開けてゆく。その後ろで彼女は言う。
「整理っていうか、お祭りで使うのぼりが去年は見つからなかったらしくて」
「今年はあらかじめ探しておこうってことか」
「うん」
「蔵にあるのは間違いないのか?」
「さあ?」
「それすらも?」
彼女はうん、とひとつ頷いて、
「あたしはないほうに賭ける」
「なら俺はあるほうに賭ける」
「勝者にはダッツ」
「またかよ」
「あたしが勝ったら期間限定のやつ買ってね。あんたが勝ったらうちにあるバニラだけど」
「なんでだよ。限定のやつ買えよ」
「あんた甘いものそこまで好きでもないでしょ」
「いや。人の金で食うものはなんでもうまい」
「人の金で食うバニラでいいじゃん」
「いや。人の金で食う期間限定は2割増しでうまい」
「2割程度なら我慢して」
「いや。5割増しで」
「増やすな」
中身のない会話をしながら、薄暗い蔵に足を踏み入れる。彼女が壁を探っているのでしばし待つ。やがて、天井に吊るされた電球が灯る。
蔵の中はどんよりとして涼しく、ほこりのにおいがする。さっきまでいやというほど感じていた猛烈な夏の気配が、少しだけ遠のく。
蔵の中には、古い食器棚、それに輪をかけて古い桐箪笥がいつくか置かれている。右手側の壁には作り付けの棚もあり、壺やら木箱やらダンボール箱やら紙の束やら……よくわからないガラクタのようなものが雑然と置かれている。
入ってすぐの左手には、梯子なのか階段なのか一瞬迷うほどの急な階段が2階へ続く。階段の後ろには、昭和のオーラを放つ古めかしい掃除機が2台並べて置かれているが、あれは現役なのだろうか。
彼女はひらひらと上下を指差しながら、
「手分けしよう」
「おう」
「あたし上ね。上のほうがおもしろいものありそう」
「馬鹿は高いところが」
「馬鹿はあんたよ」
1時間ぶり2回目。
「おもしろいものはいいけどさ。目的忘れんなよ」
「わかってるって」
よし。者どもかかれ。
■
さて、のぼりがしまわれているとしたらどこだろうか。そもそも、祭りで使うとしか聞いていないが、どんなものだろう。まさか金魚すくい、とか書いてあるんじゃないだろうな。
まずは見える範囲に置かれているものを確認する。食器棚はともかく、大きめの箱は開けてみたほうがいいだろう。箪笥には入っていないような気がするので後回しにすることにする。
見える場所にはないことを確認してから、手近な箱を覗いてみる。高価な骨董品があったりした場合、下手に触って壊してもまずいので慎重に動かす。
いくつか開けてみると、その中にひな人形を見つけた。そういえば、子供のころに何度か飾り付けを手伝ったことがあった。正直なところ、ひな人形を見ても、きれいではなく怖いとしか思わなかった。女に生まれなくてよかった、こいのぼりなら怖くない、とも。五月人形は怖かったが。しかしやつはしょせんひとり。ひな人形は集団だ。
そんなことを思い出しながらも、ちゃんと手は動かしている。が、見当たらない。ここにはないのかもしれないと思い始めたころ、
「おもしろそうなもの見つけた」
彼女が2階から降りてきた。
■
「はいこれ」
時代がかった紙切れが1枚。A4サイズよりは大きいだろうか。
「なにこれ?」
「古文書的な」
古文書じゃなくのぼりを探せ。
彼女は続けて、
「椿井文書って知ってる?」
「ツヴァイもんじゃ……? なに?」
「『つばいもんじょ』。はい」
「『つばいもんじょ』。……いや知らない」
「江戸時代に椿井なんとかさんがつくった偽書のことなんだけど」
「これもそうだっていうのか?」
「うーん……その、作者はさておき、偽書ではあるかも」
「根拠は?」
「これ」
スマートフォンのディスプレイをこちらに向ける。元号の一覧表が表示されている。
「元号?」
「うん。それ、『明応元年三月』って書いてない?」
言われて、手元の古文書に目を落とす。
「……ある」
ような気がする。
「でも明応になったのは7月からで、3月はまだ延徳4年」
「どういうことだ?」
「あえて存在しない日付にしてあるみたい」
「なんのために?」
「バレたときに『冗談のつもりだった』って言い訳するためらしいけど」
悪質。
「……これ、偽書ってことで間違いないのか?」
「ううん、そうかもしれないってだけ。それだけじゃ断言はできないよ」
「で、これはなにが書かれてるんだ?」
「さあ?」
「しっかりしろ日本史専攻」
「だからって、そんなの読めるわけないじゃん」
「そういう授業ねぇの?」
「あるにはあるけど、1年は受けらんない」
「ふぅん……」
なにが書かれているのかはわからない。しかし、明応という元号には覚えがある気がする。
「日本史で明応といえば?」
「明応の政変」
なるほどわからん。だとするとあとは、
「市立博物館に、狼伝説の古文書の複製が展示されてるんだけどさ」
「うん」
「あれも明応だったかもしれん。たしか市のホームページにも載ってる。なんか関係あんのかな」
彼女が手元のスマートフォンを操作する。しばらくして、
「あった。……『明応元年三月』」
最悪の答え。
「……そっちは専門家が調査したと思うんだけど」
「椿井文書でも、本物としてモニュメントとか建てちゃった例はあるけどね」
「存在しない日付なのにか?」
「うん……まあ、そう。細かい事情は知らないけど」
これが偽書だったとする。それでも、これだけが嘘であるなら特に問題はない。最悪のケースは狼伝説の古文書もでっち上げだった、となることだ。
そもそもの話として、この手の伝承はだいたい作り話っぽいとは思う。少なくとも、妖怪退治というのは話を大きくしているだろう。しかし、それを伝える古文書自体が嘘、というのはあんまりではないか。
「専門家に見てもらったほうがいいよね。明日は仕事でしょ? ついでに市役所に持っていったら?」
「待った……もし狼伝説自体が嘘だったとなると、大問題なんだけど」
「間違ってるかもしれないものを、このままにしておくほうが問題じゃない?」
学問する者の姿勢としては、それで正しいのかもしれないが。
「……ちょっと考えさせてくれ」
「……まあ、好きにしていいよ」
神社の祭りは昔から行われていたが、狼伝説を絡めた形となってから今年で15回目を迎える。以前は地域の小規模な祭りのひとつだったようだが次第に規模が大きくなり、今では市外からも客が集まるようになった。今更、嘘でしたでは済まない。
「……俺たちは」
言いながら、手にした古文書から目をそらす。
「なにも見つけていない」
彼女も顔を上げ、こちらをじっと見据えてから少しだけ微笑んで、
「……そうね」
そう呟いて目をそらす。扉の外を見やるその横顔がどこか寂しげに見えたのは、気のせいだったと思いたい。
祭りが近い。いつか真実が明らかになるとして、それが最も悪いものだったとしても。
そのいつかは今ではない。狼伝説は、これからも変わらず語られてゆく。
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