「十年よりも前から好きだよ」

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「十年よりも前から好きだよ」

「好きだよ」 新学期になり高校生になる前に、制服のネクタイを完璧に結べるようになりたい私に対し、幼馴染みの(いたる)は既にネクタイを結べるようになっていた。 なんでなんでどうして、と騒ぐ私に、真っ白な歯を見せて笑った至は丁寧に結び方を教えてくれた。 やっと綺麗に結び目を整えられるようになった頃、至は私の部屋のベッドに我が物顔で座って言う。 私は首元をキュッとネクタイで締め、至の顔を眺めた。 色素の薄い茶色の髪は、窓から差し込む陽の光に透けてキラキラ光る。 数秒思案し、視界の端に見えたカレンダーに「あ」と声を上げた。 「エイプリルフールだ」 今日は四月一日である。 ポンと両手を打った私に、至は破顔した。 「正解」と。 「偶にはこういうお遊びも悪くないよな」 「いや、馴染みがないから何とも言えないんだけど」 「お前は嘘つくの下手くそだもんな」 ネクタイの手前の垂れた部分――大剣と言うらしい――を指先で摘んで見せれば、至は親指と人差し指で小さな丸を作る。 それからその手を伸ばして、私の右耳に触れた。 耳の後ろをなぞるように撫でる。 「嘘つく時、絶対ここ触るんだよな」と言われ、素早く身を引いた。 右耳を押さえて舌を出す。 「真面目な顔の無駄遣い!」 *** 高校一年生を終え、すっかり馴染んだ高校生活が二年目に入る前の小休止、春休みである。 この一年で仲良くなった卯月(うづき)ちゃんと私の部屋で談笑していると、ノックもなしに扉が開かれた。 「至……。今、お客さん来てるんだけど」 「玄関からきたから知ってるけど」 眉を寄せた私に、乱入者の至はハテと首を傾げた。 その飄々とした様子に私の方が間違っているのでは、と思わされる。 卯月ちゃんが「仲が良いのね」と温くなった紅茶を啜った。 「……幼馴染みだからな」 「そう。そうね」 視線を交わす二人を私は見比べる。 肌がヒリつくような剣呑な空気を感じ、何故か部屋の主である私の方が恐縮してしまう。 父は仕事で、母は友人と映画とランチに出掛けており、家には私と客人である卯月ちゃんしかいなかった。 それなのに玄関から訪ねて来た至は、昔から持たされている我が家の合鍵を使ったのだろう。 私も至の家の合鍵を渡されている。 家族ぐるみの付き合いだった。 卯月ちゃんも高校に入学してから出会ったが、初めに声を掛けてくれた友達だ。 大人びた美人さんで、その容姿に見合うだけの知的さも持ち合わせている。 私とは対照的で憧れてしまう。 穏やかに笑い、柔らかな相槌を打つ姿が好きで、今日も沢山喋ってしまっていた。 そんな二人が睨み合っており、蚊帳の外に放り出された私はクッキーを齧る。 バターの滑らかな香りが鼻に抜けていく。 クッキーを飲み下した私は、そっと手を挙げる。 「あの」 二人の視線が私に向いた。 「それで、至は何しに来たの?」 話を元に戻せば、卯月ちゃんがそれもそうね、と頷いて胡乱気な瞳を至へ向けた。 私が首を傾げれば、至は「あぁ。そうそう」と長い足を自慢げに使い、私の前までたったの一歩で距離を詰める。 小さく体を折り畳むようにしゃがむ。 視線の高さが同じになった。 「好きだよ」 にっこり、綺麗に微笑んだ至に、私は目を瞬く。 私が何かを言うよりも先に、卯月ちゃんが素早く立ち上がって、私を引き寄せた。 バランスを簡単に崩した私は、卯月ちゃんの胸の中に収まる。 「この場で告白する?普通。空気読めなさ過ぎよ」 「この場合、空気が読めてないのは割り込んでるそっちじゃない?」 「はぁ?」 「何だよ」 またしても二人が睨み合う。 今度は私を挟んでいるので、私は更に居心地が悪い。 「今日はエイプリルフールだもんね」 緩い息と一緒に吐き出せば、頭上でまた「はぁ?」と卯月ちゃんの怪訝そうな声が聞こえた。 目の前では至が満足そうな笑みを浮かべる。 対照的な二人の様子に私は、二人の相性が悪いことに今更ながら気付いた。 *** 店長に言われた通り、店先に新しく仕入れた花を運んで並べていると「バイトっていつまで?」と声を掛けられた。 聞き覚えのあり過ぎる声に、私は沢山の切り花が咲くポリバケツを置いて顔を上げる。 「夕方までだよ」 鞄も持たない身軽な出で立ちで至が立っている。 店先に並べられた青いポリバケツから飛び出している切り花に囲まれ、見慣れた姿が見慣れないものになっていた。 持っていた花の名前と値段の書かれたプレートを、先程置いたばかりのポリバケツに放り込む。 至は聞いたくせに「ふぅん」と気のない返答を寄越す。 緩やかな一歩で簡単に私の隣に並び立ち、放り込んだプレートを眺めた。 「お花買いに来たの?」 「うん。うん?買った方が良い?」 「冷やかしじゃん」 ズボンのポケットに突っ込んでいた手を抜いて、お知りのポケットに入れてある財布を取り出した至は千円を私に握らせる。 「千春(ちはる)の好きな花で」と言って。 私は迷わずにかすみ草を手に取った。 水気を軽く切る。 白く小さな花はふわふわとして、雪の振り積もった木々のように見えなくもない。 しかし、至は好きな花でと言ったくせに「意外と地味だな」と呟く。 ラッピングのために店内に入れば、至ものんびりと着いてくる。 「可愛いでしょう」 「うん?うん。うーん」 「止めてよ。その三段活用みたいな返事の仕方」 茎を輪ゴムで纏める。 白い包装紙を引っ張り出してかすみ草を包んでいると、至が興味深そうに身を乗り出す。 淡い緑のリボンで持ち手を結ぶ。 「至はどのお花が好きなの?」 「俺?俺は……かすみ草かな」 握らされた千円をレジスターに突っ込みながら、眉を寄せて口角も歪ませて至を見る。 至は目が合うと肩をひょいと竦めた。 「さっき文句言ったくせに」 「千春の好きな花が好きだよ」 お釣りを返していると、店長が奥から顔を覗かせる。 私と至の話し声も聞こえていたのだろう、顔を見比べるとその口に悪戯な笑みを乗せた。 花屋にしては大きな体と仏頂面がチャームポイントな店長は、その中身も割と乙女的で思春期の私達よりも何事も恋愛に結び付けたがる。 その笑みはそういうことだ。 手早く至にかすみ草の花束を持たせる。 「有難う御座いましたー!」と叫ぶも、至は店長に愛想良く笑い掛けて「千春がお世話になってます」と保護者面をした。 お世話になっているのは事実だが、至にそんなことを言われる筋合いはない。 「……もしかして、千春ちゃんの彼氏?」 「幼馴染みです」 「そうです。今から告白するんです」 にこやかに言った至に店長は図体に似合わない高い声を上げる。 「千春が好きで」などと話す至は、緩く弧を描いた目をこちらに向けるが私は「店長。今日はエイプリルフールです」と首を振った。 *** 無事に高校を卒業し、大学進学も決まっている私は心機一転、髪を染めた。 伸ばしていた髪も毛先を整えるように切り、真っ黒だった髪が随分と明るくなり、何だか浮き足立ってしまう。 そのまま軽い足取りで向かうのは、自宅ではなくその隣にある至の家だ。 合鍵を持っているが律儀にインターホンを押す。 応答したのは至本人で、私は小さなカメラに頭を近付ける。 「見て!髪染めたの!」 はしゃぐ私に、至は「ちょっと待って」と短く答え、ブツンと向こう側から音を切る。 数秒後、鍵を開く音がして至が外へ出て来た。 私を見るなり「へぇ」と光の当たり具合で金色にも見える瞳を丸める。 「俺みたいな色になってる」 適当なサンダルを引っ掛けて出て来た至の足音は、随分と高い音を立てた。 私の前にやって来ると、旋毛を指の腹でくるくると円を描くように撫で回す。 「いいな。うん。良い。好きだよ」 「可愛い?」 「うん。可愛い」 去年かすみ草の可愛さを理解しなかった割に、私の髪色の変化は可愛いと認識するらしい。 褒められれば満足する私は、そうだろうと胸を張る。 「本当。好きだよ」 切り揃えたばかりの毛先を弄ぶ至の言葉に、私は満足してクスクスと笑い声を上げた。 *** バーのカウンターテーブルに突っ伏した私は、べしょべしょと泣き、隣では卯月ちゃんが静かにウィスキーを飲んだ。 「取り敢えず、その靴脱いだら?」と溜息混じりに言われ、のっそりと顔を上げる。 別の大学に進んだ卯月ちゃんとは、相も変わらず顔を合わせては遊び歩いていた。 しかし、今日は楽しく遊べる気分ではなく、顔を見合わせてから私はずっと泣いている。 卯月ちゃんの視線を追って自分の足元を見れば、ケバケバしいまでに真っ赤なハイヒールがあった。 足の収まりが悪く、半分脱いで踵を踏んでいる。 「戦利品……」 「そんな趣味の悪い戦利品なら、ない方がマシよ」 惨めったらしく呟く私を、卯月ちゃんはキッパリと切り捨てた。 ついで「合コンには向き不向きがあるわね」と言う。 全くもって事実である。 「俺もそう思うよ。千春に合コンは向いてないな」 泣きすぎて瞼が重く、おしぼりで顔を拭こうかなと考えていたら、そんな風に言われて顔を伏せた。 「何でいるの……」というか、いつからいたのか。 カラカラと笑う至は、卯月ちゃんとは逆側の私の隣に腰掛け「今日が何月何日かって話だよな」と言う。 「空気読んで欲しい……」いつか、卯月ちゃんが至に言っていたのを思い出す。 卯月ちゃんは何も言わずに、カロンと氷とグラスをぶつけて高い音を立てる。 私のトゲのある言葉を気にした様子のない至は、のんびりとフードメニューを頼み「合コンで出会った男と付き合って、お前が浮気相手だからってされた幼馴染み思えば、駆け付けることこそ空気を読んだ行動だろ」と言う。 これには「うえーん!」態とらしく声を上げた。 事実だからこそ口に出さないで欲しい。 誠実な付き合いが出来ていると思えた相手の家へ訪ね、男ウケも女ウケも悪そうなハイヒールを発見した私が世界で一番可哀想だ。 現在進行形でベッドの上で絡み合う彼氏だと思っていた男と、見知らぬ女を見て吐かなかった私が世界で一番偉い。 そう思っても上手く言葉に出せない私に、全てを理解しているとでも言うように至は背中を撫でる。 温い手が泣き過ぎて疲れた体を眠りへ誘う。 「俺は好きなのにな」 今日はエイプリルフールだ。 *** 六年目は至のバイト先で。 新作のフラペチーノを買いに行った私に、カップに相変わらずなメッセージを書いて。 七年目は卒業旅行の企画中に。 卯月ちゃんと至は喧嘩するので、私は二人と別々に二回も卒業旅行に行った。 八年目は入社式前。 真新しいスーツに着られた私の緊張を見越して、電話をしてきた時に。 九年目はお酒を飲んでいる時だ。 もはや恒例となったやり取りに、私は「そろそろ飽きない?」と問い掛けた。 至はビールのジョッキを傾けながら「全然」と淡白に答え、私はアルコールに浸かった頭で笑った。 「私のこと、好きだもんね」と。 「あぁ」と頷いた至が、直ぐに私を凝視して「うん?」と首を傾げたのが面白かった。 十年目もアルコールが入っている。 卯月ちゃんがバーテンダーを務めているバーで至と待ち合わせをしていたが、随分早くにやって来た私だけがアルコールに浸かっているだけだが。 休憩中の卯月ちゃんは、ネクタイを外して水を飲む。 「今年で十年目?よくここまで付き合って来られたわね」 心底呆れたように言う卯月ちゃんは流麗な眉を歪めた。 「長い付き合いだよね。今年は色々と節目だよ」 「節目?」 首を傾げた卯月ちゃんに、私はカクテルで唇を濡らす。 待ち合わせ中に飲むのはマナー違反だとは思うが、相手が相手ですっかり甘えている。 「この前ね。告白されたんだ」 「……アイツじゃないわよね」 「勿論。そうだったら、今日は待ち合わせなんてしてないよ。職場で同じ部署の人なんだけど。入社した頃から、ずっと気になってたんだって」 「……だって、って、まるで他人事ね」 卯月ちゃんが「こんなに可愛いのに」と私の頬を指先で突く。 丸い爪が柔く頬を刺激する。 私はうんうんと気にせずに頷いた。 「あんまり、真っ当な恋愛してなかったからね」 思い出すのは五年前の苦い記憶である。 戦利品と称して持ち出した赤いハイヒールは、至がその日のうちに処分した。 ついで、新しい靴をプレゼントして貰ったのは翌日のことだ。 卯月ちゃんにも翌日の話をしてあり、覚えているだろうに「何もかもがアイツのせいね」と言う。 アルコールで温まり始めた体で私はウフウフ笑う。 「そうかも」と。 「……だからね。だから、今年でお終い。私だって、ずっとずーっと待ってたんだもの」 カクテルを飲み切ると、卯月ちゃんが水を頼んだ。 もうこれ以上は飲ませて貰えないらしい。 *** 卯月ちゃんの頼んだ水をダラダラと飲んでいると、待ち合わせ時間よりも十分も早く至が到着した。 「お待たせ」 グラスを両手に持って至を見る。 「ううん。卯月ちゃんとお喋りしてたから」首を振って、休憩を終えて仕事に戻った卯月ちゃんを探す。 ボックス席のお客さんを対応していた。 シャープなバーテン服の似合う卯月ちゃんは格好良い。 至へと視線を戻せば、至の服装がいつになく畏まっていることに気付いた。 見るからに仕立ての良いスーツは、至の体に吸い付くようで、オーダーメイドかしらと思う。 まじまじと見つめる私に、至は「そう」と頷き「でも、本当にお待たせ」と繰り返す。 座らずに立ったままだ。 「うん。うん?今年はしないの?」 そのための待ち合わせではなかったのか。 「するよ。でも、今年は一味違う」 「ふふ。そうなの?」 「うん」 アルコールの抜けきっていない頭を傾ける私に、至はニッコリと微笑んだ。 自信と慈愛に満ちた笑みだった。 カランコロンと高い音を立てて店の扉が開き、夜の冷たい風が店内に吹き込んだ。 至の淡い光色の髪を柔く揺らす。 甘ったるく私を呼ぶ至からは、甘い甘い花の香りがした。
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