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その夜のことを、私は一生忘れないだろう。 光星はその頃、私のことをいつも「ママ」と呼んでいた。瑛斗の手前、自然にそうなっていたのだ。私だって彼のことを「パパ」と呼んでいた。 でもその夜は、何度も「奈央」と呼ばれた。 リビングの横の和室に寝ている瑛斗には、廊下といくつかのドアに隔たれて聞こえないはずなのに、彼は密やかに私をそう呼んで、大事に抱いてくれた。 それは決して、子どもをつくるための営み、だけではなかったと思う。 そういう行為から離れていた時期があったからこそ、お互いの身体と心を満足させたい、という思いが伝わってきた。私だってそうだ。 私がどうすれば感じるのか、充分分かってる、とでもいうように、彼は私を満足させてくれ、それによって自分も高められたようだった。結局、そのままシャワーも浴びずに眠りについた。 その時私は、もしかしたら彼の心の中には、忘れられない人が今もいるのかもしれないけど、そういう部分も含めて、彼のことが好きなんだ、と思った。 心の痛みを知る人は、周りの人を大切にできる。 彼はもともと優しい人だと思うけど、もしかしたらその一部には、なにかそういう経験があるのかもしれない。 光星の過去にどんな女性がいても、今はこうして、私の傍にいてくれる。 こんなに大事にしてもらっている。私も、瑛斗も。だから、変に勘ぐる必要なんてない、と思えた。 それでもう、あの『思い出箱』を見ても心は迷わなくなった。光星が、今は私の人であることに自信が持てたからだろう。 少し経ってから、彼が大事に思っていた女性って、どんな顔だったっけ、と好奇心が湧いて、あの箱を開けてみた時があった。 でもなぜか、封筒も写真もメモも、どこかに移したのか、処分したのか、みつからなかった。 残念ながら、その夜は子どもを授かれなかったけど、その後、次男が生まれた。 瑛斗の時は、あまり深く考えなかった名前も、今度は「慎重に物事を見極められる人に」と慎の字を使った。光星のように落ち着いた、大人の人になって欲しかった。今はまだ、わんぱく盛りだけど。 3人目は、女の子が来てくれた。光星はとても喜んで、まだ産院にいるうちに「とても嫁にはやれそうもない」と言うくらい、親バカに拍車が掛かっている。
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