3

2/4
前へ
/15ページ
次へ
家で子どもとふたりきりだと、本当に世界が狭くなる。 仕事をしていた頃に比べると、何より外からの情報が取り入れにくい。世の中の流れと、自分の周りの時間とが、別次元で流れているような気がする。 その代わりに、子どもの成長やその環境について、どうすればいいのか、と迷うことも多くて、そういった情報を取り入れることで精一杯なのだ。 もし産後休暇を取っていたら、今頃はもう復帰して、元の通り働いているはずだ。私はきっと、専業主婦より働いている方が好きなのだ。 子どもとの蜜月も嫌いじゃないけど、子どもはどんどん大きくなってしまうし、こちらがそうしたくても、いずれは親に付き合ってくれなくなるだろう。 幸いにして、瑛斗を産んだのが早かったから、子どもに手がかかる子育て期を先に体験している。周りの友人はまだ、結婚してない人も多いくらいだ。子育て期が落ち着いたら、なるべく早く社会に出よう。 今度は「保育士じゃないと」と思わずに、自分ができることで少しずつ、働くことに慣れていけばいい。 …そう思いながらも、裏では別のことを考えている。 光星は優しい人だ。私が告白したら、ちゃんと受け止めてくれた。 付き合いが一年以上になって、お互いのマンションを行ったり来たりするのが面倒だな、と思い始めた頃、「一緒に住もうか?」と言ってくれた。 「一緒に住むなら、籍入れないとだな」と言って、親にちゃんと挨拶しに来てくれたし、今どきは大きな結婚式はあまり、と言った私に配慮して、周りの人だけのお披露目式もやった。 気に入ったウエディングドレスを着て、羨ましがる友人たちに囲まれる、幸せな経験をさせてくれた。 じきに妊娠が分かって、瑛斗が生まれた後は、家にいる時間が短い分、瑛斗も私のことも、ちゃんと見ていてくれる。 優しくて、大人で、かけがえのない私の夫。 だけど、今回のことがあって、気づいてしまった。 私は彼に一度も、好きだ、とか愛してる、とか言われたことがない。 これまではそんなこと、気にもしていなかった。そんな言葉がなくても、充分に満たされていたのだ。 いつも傍にいてくれて、不安になることも、物足りなく思うこともなかった。 それはとても幸せなことなのかもしれない。 人の心は不思議だ。 瑛斗を産んでから、愛のかたちはひとつではないことを知った。 光星とふたりだったときは、男女の愛しか意識していなかった。今は、瑛斗だけではなく、自分の親がどんなふうに自分を見てくれていたのか、という親子の愛も分かる。 よその子への目の向け方も変った。瑛斗にちょっと意地悪をする子どもさんも、単純に遠ざけるのではなく、この子はどういう環境で育ってきて、こうなったんだろうな、とか考える。 自分の人間の幅が、広がってきていることを実感する。 光星に対するもやもやは、すぐに解決しそうもないけど、正直「惚れた弱み」と言ってしまえばそれまでだった。 彼の心を、自分だけのものにしておきたいのだ。はっきり言って私は、あの写真の女性に、ヤキモチを焼いている。それも本当にヤキモチを焼く必要があるかどうかすら、はっきりしていないのに。 自分が彼を思うのと同じくらい、彼にも自分のことを大切に思ってほしい。それはきっと、叶えられている。だからもう、深読みしたくない。 …これ以上、彼を疑うようなことが、起こりませんように。 心からそう思った。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

162人が本棚に入れています
本棚に追加