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光星の仕事は、医療機械の営業で、終業時間にはあまり縛られない。たまに出先から直帰して、夕飯に間に合う日もあるし、反対に夜中までやってくることもある。 出産まで同じ会社に勤めていたので、彼がどうして遅くなるのかは知っている。 翌日から数日後までの、営業先で使う資料を用意しているのだ。彼は一社ごとの提案資料の作り込みに手を抜かない。それを昼間の営業が終わった後にやりはじめるので、必然的に残業になる。 そういう営業の人たちのフォローが、当時の私の仕事だった。 たくさんあるパンフレットから、求められているものを用意したり、提案書や見積もりの印刷や綴じ込み、相手が複数の場合は人数分の資料を揃えて封筒に入れたり、といった仕事の他に、領収書の整理や経理数字の入力など、一般的な事務仕事もやっていた。 付き合い初めて2年後に結婚し、じきに妊娠が分かった。 周りの女性は育児休業を取る人が多かったけど、私は出産を機に退職することにした。 実は私は子どもの頃から保育士に憧れていて、保育士免許も取っていたけど、卒業の年は地元に求人が少なくて保育士になれなかったのだ。 それで、事務の仕事についたのだけど、いつか保育士になる、という思いが捨てられなかった。 できれば子どもは早めに産んで、子育てにめどがついたら、保育士として働くことができれば、と思っていた。 出産後、実家にしばらくお世話になって、マンションに帰ってきたとき、子どもとふたりきりの生活がいかに大変かを知った。 本能のままに生きている赤ちゃんという存在は、頭で理解しているものと全く違っていた。 オムツも替えたばかりだし、母乳も飲んでお腹もいっぱいのはずなのに、それでも泣かれると途方に暮れるしかなかった。 頼りにしたい夫は、毎晩、何時に帰って来るか分からない。 最初のひと月くらいは、瑛斗が泣くと、自分も泣きたくなった。こういうのが続くと、産後うつ、というものになるのだな、と思った。 それで、光星が夜遅くに帰って来ると、弾丸のようにその日にあったことを喋った。 彼はそれを黙って聞いてくれ、受け止めてくれたから、なんとかその時期を乗り切れたんだと思う。 今思えば、そう言う経験も、保育士になるために必要な学びだったのだ。 保育士は、子どもが好き、というだけではできない仕事だと学んだ。 そういう立場のママの気持ちを理解することができるから、子どもとママの両方にきっと寄り添える。 だから、保育士になれなくても、関連の仕事になら就ける気がする。 瑛斗が2歳になった今は、意志の疎通ができるので本当に楽になった。 「はい、乾いたよ~。お部屋に行ってもいいよ」 お風呂上がりのパジャマ姿になった、彼の髪の毛をドライヤーで乾かしてそう言うと、嬉しそうにリビングへと歩いていった。 立ち上がり、洗面台の鏡を見ながら、今度は自分の髪を乾かす。 今はコロンとした丸いショートヘアにしているので、じきに乾いてくれる。 「光星、お先に。お風呂いいよ」 リビングのローテーブルに新聞を広げて読んでいたところを、瑛斗に邪魔されたようで、ソファの上で瑛斗とじゃれていた光星にそう言うと、 「俺が風呂から出てくる頃には、瑛斗は寝てるな」 「そうだね、今日は二歳児学級に行って遊んできたから、多分すぐ寝ちゃうと思う」 「よし、じゃあ、おやすみのギューをしよう」 そう言って、瑛斗を抱き上げて頬を触れ合わせた。 その言葉に瑛斗が目をつぶって合わせるのを、微笑ましく見ながらキッチンへと入って行く。 瑛斗を床に降ろすと、彼はお風呂へと向かった。 夕飯に使ったお皿は洗われて、ビールの缶も濯いで、食器カゴに入っていた。 ふと見ると、リビングの横の和室には、私と瑛斗の布団が敷かれている。 彼は、本当に周りの人に優しい。 家族を大事にしてくれる夫で良かった、と心から思う。
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