不埒な弟

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不埒な弟

          東洋新聞  社会面 「十二月二日未明、香港で金塊二十キロを成田空港に密輸したとして、会社役員たち三人が神奈川県警に逮捕された。  彼らはおよそ六百五十キロ、三十億相当の金塊の密輸に関わったとして調べています」             九月 「今日、ちょっと遅くなるなるかもしれない」  悠里は鏡台の鏡に向かって、耳のイヤリングの位置を調整しながら、キッチンにいる母親に呼びかけた。  母親はフライパンでソーセージを焼き、スクランブルエッグを作っていた。朝食はいつも母親が作る役目だ。もともと料理好きの母親は、悠里をキッチンに立たせるでもなく、ここが自身の聖域であるかのように振る舞う。  悠里は身支度を調えると、すでに卓上にのせられたソーセージを摘み食いする。 「こら!行儀が悪い」  父親が建設現場での鉄骨崩落事故で亡くなってから、母親は悠里のしつけに厳しくなった。今まで、悠里の教育担当は父親だった。その父親がいなくなった我が家は羅針盤を失った船のようであった。  それでも、母親が一念発起して、船の針路を軌道修正すると、船は正しい航路に乗ることができた。つまり、我が家は正常を取り戻した。  父親が亡くなったとき、悠里は九歳だった。悠里は一人娘であるがゆえに、父親に溺愛されていた。父親が事故で亡くなる前夜まで、いっしょにお風呂に入っていたほどだ。  でも、学校では父親と入浴していることは口が裂けても言えなかった。そんなことを迂闊にしゃべりでもしたら、瞬く間にいじめのターゲットにされるだろう。  父親が亡くなったという報を聞いたとき、悠里はその言葉の意味を測りかねた。人はそんなに簡単に死ぬものなのか、理解できなかった。  だが、病院の霊安室で白い布で覆われた人型を目にしたとき、初めて人の死に触れた気がした。  父親の仕事は建設現場の監督だった。だから、危険な仕事に違いはないのは、子供心にはわからなかった。ただ、現場の安全管理は悪く言えば、徹底されておらず、傍目には、父親は会社に殺されたといっても過言ではない。
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