1. ことのはじまり。

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1. ことのはじまり。

 「あっ」と一声あげるのが精一杯だった。  両手が本で塞がっていたから手すりも掴めない。  『本は守らなきゃ…』  なんて冷静に考えているようで、とっさの判断を間違えているところから、すでにパニックになっていた証拠だったと思う。  定時の時刻が迫っていてかなり焦っていた。  普段はワゴンに乗せてエレベーターで持って降りるはずの蔵書を、「大した量じゃないから階段の方が早いよね」と自分に言い訳をして。  両手に三十冊以上の本を抱えて、若干前が見え辛くなっていたのも敗因の一つだと思う。「急がば回れ」という皆が良く知ることわざを、ちょっと前の自分に言い聞かせたい。    蔵書の重さにバランスを取りながら階段を二歩降りたとき、「ドンっ」という衝撃。下から駆け上がってきた子どもが私の横腹にぶつかったのだ。    重なった本が斜めになったせいで、体のバランスが崩れる。  踏み下ろそうとしていた左足の着地点がずれて(くう)を踏んだ。  体が階段下に向け傾き、本がバラバラと階段の上を舞う。    スローモーションて本当にあるんだな。  まるで魔法で鳥になったみたい。    なんてのんきなことが頭をよぎった後、私はこのあと襲ってくるであろう痛みに耐える為、ギュッと目をつぶった。  ドンっ!  派手な音が聞こえたのに、どこも痛くない。  それどころか、体を温かなものに包まれていて、爽やかなシトラスの香りにもちょっと癒されるかも。  自分がどうなっているのか確認するのが怖かったけれど、おそるおそる目を開けてみた。  「―――っ!!」  横向きになっている自分の目の前にあったのは、白いシャツと硬い胸。背中には腕の感触。  私はなんと、出会ったばかりの男性に抱きしめられ、階段の下に二人で倒れていたのだった。  
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