9. 好きにならないわけないだろう?――Side修平

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 祖母が亡くなってから一年。  冬から春へ向かっていく中で、俺は自分の気持ちが段々と下降していくのを感じていた。  忙しくしていないと、得体のしれない何かに負けてしまいそうで、仕事に打ち込む。  次々に仕事を入れて毎日遅くまで職場にいる俺を、周りの同僚や上司たちは気遣うような声を掛けてくれたが、俺はお礼だけ返してそれを聞き入れなかった。  追われるように仕事に打ち込み、疲れきってから帰宅したあとでも、アンジュの散歩は欠かさず行く。それがたとえ夜中だろうと。  そうして体を酷使してクタクタの状態だったのに、夜はなかなか眠りつくことができなくて。  そんな俺を心配したアンジュが、俺の部屋のドアを勝手に開けて入ってくるようになってからは、短い時間だけでも眠りに落ちることが出来るようにはなった。  桜の花の開花と反比例を描いて、気持ちが少しずつ萎んでいく。  明日は祖母の一周忌、という時になって、とうとう家の庭の桜の木が目に入るのすら辛くなった俺は、アンジュを連れて散歩に出たのだった。      河原で立ち止まる。  川面に映る夕陽が眩しくて、逃げるように土手の上を振り返った。  青々とした葉を繁らせた桜から、残り少なくなった花びらが風に舞って行くのを無意識に目が追っていた。    慌ただしい毎日を過ごす中で、もう大丈夫と思っていたはずの胸がひどく痛む。    日が陰ると途端に冷たくなる春風に吹かれて波立った川面に、花びらが揺れていた。    「あの……良かったら、これを……」  突如横から小さな手がスッと現れた。その先には、白いハンカチが。  「え?」  「お節介だったらごめんなさい……でも、」  声の主の方に体を向けようとしたその時、  ポタリ、と頬を滴が滑り落ちる感触に、自分が泣いていることに気付いた。  慌ててそれを拭おうと動かした手の先に、ハンカチが押し付けられるように握らされる。目を見開いた途端、その人は走り去っていった。  こぶしで涙を拭きながら、その後姿を見送る。  頭の上の方で一つに括った髪が、彼女の動きに合わせて左右に振れている。    「なびく髪が、アンジュの尻尾みたいだな」  彼女の姿が見えなくなった後、手にしているハンカチに目を落とした。  真っ白なそれは、四葉のクローバーと『A』というアルファベッドが緑で刺繍してある。  そっとその刺繍を指でなぞった。 ──────────
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