10. 『恋』かどうか分からない。

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***  午後からの仕事はカウンター業務だ。  カウンターに座って打ち込み作業をしながら、来館者の質問に答えたり、館内を案内しながら時間を過ごした。そんな午後一時過ぎ。  カウンターの中のパソコンの前に座って、手元の資料に目を通していた時、私の上に影が差した。  『ご質問の方かな』と思って、「こんにちは」と口にしながら顔を上げた。  「こんにちは」  「しゅっ、」  そこには、にこやかな顔で立っている修平さんが。  彼の名前が口から出そうになるのを慌てて飲み込み、「瀧沢さん」と何とか言い直す。  そんな私の努力を知ってか知らずか、彼はいつものように私に微笑んで「お疲れ、杏奈」と言った。    瞬間、カウンター内や近くの書架の先輩達から、痛いくらいの視線が飛んできた。  「あ、あの…何かご質問でしょうか?」    背中に伝う冷たい汗を感じながら、なんとか普通の『利用者の方への対応』を述べる。  「いや、質問はないよ。これを渡そうと思って来ただけだから」  修平さんが差し出した拳の端からキーホルダーの犬がぶら下がっている。  握っていた鍵を私に渡した彼は、周りの目なんか一つも気にせず会話を続けた。  「パンク、ちゃんと直ったよ。少し錆びついていたところは取ってくれたって、自転車屋さんが」  「そ、そうですか…ありがとうございます」  なんとか『司書』の態度のまま乗り切ろうと敬語を崩さない私に、目を丸めた修平さんは、「クスっ」と小さく笑ってから、  「じゃあ、俺はこれから職場に戻るから。帰り、気を付けてね」  そう言って、私の頭をいつものように撫でてから、出入り口の方へと歩いて行った。    
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