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彼が手にしていたのは、私の一番好きな作家の新刊。
「『橘ゆかり』。俺、この作家さん好きなんだよね。昔からずっと読んでてさ。現代もののミステリも面白いし人情ものも好きなんだけど、一番好きなのはこのシリーズ。江戸を舞台とした怪奇小説だけど、ゾッとする恐ろしさの中にも人情とか泣けるところとかあって、いつも新刊が出るのを楽しみにしてるんだ」
綺麗な顔をより一層輝かせて、心底楽しそうにそう語る瀧沢さんに思わず見惚れてしまう。
「いいな、俺も今日買いに行くつもりだったんだけど、」
「それ、どうぞ貰ってください!」
瀧沢さんが全ての言葉を言い終わる前に、思わず口にしていた。
「え?」
「私はもう読んだので、良かったら瀧沢さんが貰ってください。あ。中古なんですけど、お嫌でなければ、ですが」
「いいの?ほぼ新品の四六版だよ?」
「いいんです!」
鬼気迫る勢いでそう宣言した。
実はこの作家で私が一番好きなのも、このシリーズ。
昔からずっと読んでいて、自宅の本棚にはすべての本が揃っている。
「私も『橘ゆかり』の本が好きなんです。しかもこのシリーズが一番」
「そうなんだ」
瀧沢さんは嬉しそうにそう言って笑った。
その笑顔は今までの中で一番自然で、ああ、この人の繕わない笑顔はこれなんだと気づいて、見ている私まで嬉しくなる。
瀧沢さんは手にした本を大事そうにひと撫でしたあと、ふと足元のあるものに目を留めた。
そしてそれを拾い上げると、私の方に顔を上げてにっこりと微笑んでこう言った。
「ところで、お名前を聞いても良いでしょうか。“宮野杏奈”さん?」
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