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アパートへ続く細い道の、最後の曲がり角を曲がってアパートが見えた瞬間、私は息を呑んだ。
建物の東側のほとんどに黒い焦げ跡がついている。焦げ臭い匂いも鼻をついた。
足が地面に縫い付けられたみたいに、その場から動けない。手足が小刻みに震えている。
震える手を握りしめて二、三度深呼吸して自転車から降り、なんとか駐輪場へと足を踏み出したところで、後ろから声を掛けられた。
「杏奈ちゃん」
振り向くと管理人さんの奥さんが立っていた。
「奥さん……」
「杏奈ちゃん…こんなことになってしまって、本当に何て言ったらいいのか……」
管理人さんは中村さんと言い、ご夫婦で何軒かのアパートの管理を受け持っている。
お二人にはちょうど私くらいのお嬢さんがいるそうで、そのお嬢さんも私と同じように実家を出て一人暮らしを始めたばかり。そのこともあってか、中村さんご夫婦は私のことを娘のように優しく見守ってくれていた。
このアパートに決めたのも、ご夫婦の優しい人柄が決め手だった。
目を潤ませながら「でも杏奈ちゃんが無事で本当に良かった」と言われて、私も声を詰まらせてしまう。
「ありがとうございます……。奥さんも管理人さんも、お怪我はありませんでしたか?」
「ええ、私たちがゆうべ連絡を受けてここに来たときには、もう消火活動の真っただ中で近寄ることも出来なかったから。住人の皆さんの安否を確認する時に、杏奈ちゃんに中々連絡がつかなくて気が気じゃなかったわ……」
「ご心配お掛けしてすみませんでした。昨日は仕事の後に色々とバタバタしていて……」
そう、私は昨日管理人さんからの電話を取った後に、何件か着信があったことに気付いた。どれも管理人さんからだったので、きっとその時のことだろう。
「いいのよ、無事だったんだから。他の方もみなさん大事に至らなかったみたいで、本当に不幸中の幸いね……」
奥さんは片手を顎に当てて、ホッと息をついた。彼女の顔も昨日の疲労が色濃く滲んでいる。
「しばらくしたら主人が戻ってくるから、お部屋の確認が終わったら管理人室に顔を出してもらえるかしら?」
それに頷いて、奥さんと別れ、自分の部屋がある二階へと階段を上った。
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