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再会
「着替えないのですか?」
間もなくエルティーナ王女が来訪するというのに、カイルは普段の礼服のまま執務室で書類に目を通しては、それにサインする事を続けている。
「着替える必要性を感じない」
「王女に初めて会うのですよ?」
「お前だっていつもと同じだろう……」
アドルフもカイルの傍で壁にもたれながら腕を組み、常と変わらぬ様子を見せている。
「それに初対面のデルフィナを執務室なんかに寄越すなんて。仮にも皇太子妃候補、一国の王女です。接見のためのもっとマシな部屋があるでしょう?」
帝国入りした王女を迎え入れて初めての、双方の顔合わせである。
本来ならば正装で身なりを整え、フォーン王国よりも圧倒的に国位の高いオルデンシア帝国の皇太子は拝殿の壇上に着座し、彼女を待つべきなのだろうが。
「どこでも同じだ」
「……大勢連れ立って来ますよ?」
「問題はない」
カイルが書類を整えて立ち上がり、書棚に向かったところでノックの音がした。
「エルティーナ・アイリスリン・フォーン王女殿下のご来室でございます」
カイルの「入れ」という合図を聴き、重厚な両開きの扉が開かれた。
まずは恰幅の良い大臣が、続いて護衛官が二人……そしてようやく王女が姿を見せる——勿論、全員正装である。
重苦しい男臭さが続いたあとの、王女の清々しいその姿——…
豊かなブロンドを高い位置でふわりと結え、頭上には繊細な造りのティアラをさり気なく戴いている。
華奢な肩とデコルテをあらわにした淡いブルーのドレスは清楚だが、エルティーナの花のような優しい顔立ちに良く似合い、彼女の可憐さを引き立てていた。
(ほら、皆、正装です。だから場違いだと言ったでしょう……?)
カイルの肩越しにアドルフが耳打ちをした。
カイルは王女を見遣る——うつむいたその表情は暗く、泣く事を必死で堪えているようにも見える。
赤く目を腫らし、引き結ばれた口元は何かの拍子にまた嗚咽を漏らし始めそうだ。
「………ッ、」
そんな王女の姿を見て、無関心を貫いて来たカイルも流石に胸を詰まらせる。
執務室はそれなりの広さがあるが、王女の後に続く護衛が更に二人、そのあとに侍従長までが入室してくる……嵩高い男ばかりが溢れた執務室のむさ苦しさといったら!
カイルが言い放つ、
「護衛は下がれ、幾ら王女に付き添うと言えども宮廷の中だ。仰々しい人数は要らぬ!」
その声を聴いたエルティーナは、はっとして、ゆっくりと顔を上げた。
目を泳がせて執務室をざっと見渡し、カイルの姿を認めると——
「——あなた、この間のっ」
底知れぬ緊張感の中にいたエルティーナは、見知った顔を見つけて相当安堵したのか。
二の腕までの白い手袋をはめた両手でドレスの裾をサッと持ち上げ、笑顔を見せてカイルに駆け寄った。
「私は先日、帝都であなたに助けていただいた者です!覚えていらっしゃいますか?!」
満面の笑顔で見上げてくるエルティーナに、カイルはすっかり戸惑ってしまう。
「あ、……はい。勿論、覚えています」
「その節は本当に……本当に、有難うございました。またお会い出来て、嬉しいです……っ!」
エルティーナの様子にアドルフも驚きを隠せない。
「二人はお知り合いだったのですか?」
アドルフの問いかけに、王女の笑顔が更に明るくなる。
「はい!」とにこやかに答えてカイルを指差し、
「こちらの彼はっ。治安部の隊員さん、ですよね?!」
———その場に居合わせた、王女以外の全員から漂う、冷ややかさと畏れとが入り混じったような沈黙。
そんな中、一人プッ!と吹き出したのはアドルフだ。
「えっ、……皆さん、どうか、されまし……た?」
大臣がおもむろに歩み寄り、ゴホッと咳払いする。
「エルティーナ王女が、一体誰と勘違いをなさっているのか窺い知れぬが——」
そして恭しく片手をカイルに差し向けて、エルティーナに言葉を掛けた。
「———カイル・クラウド・オルデンシア皇太子殿下だ」
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