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「エリ!」
玄関の扉を開けると、部屋の中からヒカルさんが慌てた様子で出てきた。
「ああ、良かった、どこかに行ってしまったのかと……」
ヒカルさんはスーツが汚れるのも構わず、玄関にへなへなと座り込んだ。
「お仕事、行ったんじゃ……」
「エリが心配で、午前中で早退してきたんだ」
「ごめんなさい、私が勝手に外出したから」
「いや、いいんだ。戻ってきてくれれば」
ヒカルさんはその場に座り込んだまま、呼吸を落ち着けるように自分の胸元に手を置いた。
「私がこんなのだから、ヒカルさんに迷惑をかけてしまうんですよね」
「そんなことない! 迷惑なわけあるか! エリは俺の大切な、婚約者なんだ!」
「ヒカルさん……」
声を荒げてくれたことが、嬉しかった。何も思い出せないことを咎めず、ただここにいる“私”を必死に受け入れようとしてくれている。
「エリのせいじゃないから……」
ヒカルさんは立ち上がると、私の頬をそっと撫でた。
「エリの記憶が戻らなくても、エリが俺のことを忘れても、俺は何度でもエリを好きなるんだと思う」
頬に感じる彼の温もりがくすぐったい。ヒカルさんはそのまま私の顎をすくった。そして、じっとこちらを見つめた彼。
ある種の予感に、鼓動が高鳴り始める。
「エリ……」
しかしその直後、彼は私から手を離した。
「ごめん、安心したらつい……」
ヒカルさんはそう言って私に背を向け先に部屋に戻っていく。私は彼がそのまま触れてくれなかったことが、少し寂しいと思ってしまった。
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