第1章:未知のイケメンとの出会い

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*** 「大変大変、世界ちゃーん」  飛び込んできた一条の声が講師控室に響き、他の先生も振り返る。 「ちょっ…声、大きい…」  星野は慌てて席を立ち、その声を制する。一条は自分より一年後輩で年齢も下のはずだが、初対面ですでに下の名前で呼ばれていた。一条の人懐こい性格だから為せる業だが、そもそも自分は名前だけが身の丈に合わず壮大なので、大勢の前で呼ばれるのはかなり恥ずかしい。 「どうしたもこうしたもないよ、ちょっと見て見て」  一条は星野の腕を引き、控室の隅に置いてある、防犯カメラの前まで誘導した。防犯カメラは教室以外にも、スクールの出入口、廊下、ミーティングスペースなどにも設置しており、講師控室から確認することができる。一条が指をさしたのは、中会議室でちょうど入会したばかりの生徒たち、が説明会を受けていた部屋だった。  そして見覚えのある男性の姿を見つけ、星野は目を見張った。 「この人……」 「そう! ねぇ、これあのときのイケメンじゃね?」  事務員の話を聞いている十名ほどの学生たちの中にいる、ひときわ座高の高い男性は、間違いなく、星野からティッシュを受け取った男性だった。 「あの人、大学生だったんだ……」  こうして大学生の輪の中にいれば、学生に見えなくもないが、どの生徒よりも大人びている。 「へぇ、星野先生が引っ張ってきたの?この子」  星野と一条のすぐ後ろに、数名の先生が集まってきた。 「いや、引っ張ってきたっていうか……」  大学生だと思っていなかったので、これこそ、偶然の賜物だ。 「でもこの子、生徒にしておくにはもったいないね」 「相当モテそうだよな」 「だなー、ま、俺ら大人の色気には敵わないけど?」  一条を始めとして、講師たちは楽しそうに談笑をしているようにみえるが、実はそうではない。彼らは入会してきた生徒を男女問わず値踏みするところから始まり、自分よりも外見偏差値の高い人間を敵とみなしている。なぜなら講師たちは表面上仲が良さそうに見えても、実際にはライバルで、ここは戦場なのだ。  自分たちの勤務するパソコンスクール『エスペシャリー』は講師指名制システムが導入されている。生徒は、自分の好みにあった講師の授業を選んで受けることができ、個人指導は別途追加料金を支払うという料金体系まで存在する。スクールのロビーにある液晶掲示板には指名ランキングなるものまで表示されており、さながらホストか、キャバクラだ。  今のスクール長は、「外見の良さが世界を制す」と思っている人間で明らかに容姿の整った人物を講師として積極的に採用している。おかげで在籍している十名ほどの講師は顔立ちの整った美男美女が揃っている。そして今ではこのシステムが大変好評らしく、講師希望の人間が全国から殺到していて、採用されるまでの競争率は三十倍と言われているから世の中おそろしい。  星野が就職したときは、学生のうちに社会人に必要なパソコンスキルを身につけるというどこにでもある平凡なスクールだったが、入社して一年後に創始者の孫にあたる今のスクール長が就任し、システムが今のカタチに様変わりした。  当然、この流れについていけないと、元から在籍していた講師のほとんどは辞めていった。  星野も例外ではなく頃合いを見計って辞めようと考えていた。そもそも自分は外見に自信がないし、いつか自分の外見が原因で切られてしまうくらいなら、その前にこちらから辞めてしまおうと決めていた。けれど講師が減り、残された講師の中で、唯一の講師経験者は自分だけであることに気づき、今、ここで自分が辞めれば、このスクールも、学びに来ている生徒たちも困ってしまうと思いとどまり、辞めるタイミングを逃してしまった。そして五年の月日が流れ、講師が充実した今でも、辞めるきっかけが掴めず、未だに講師を続けている。  講師という仕事は好きだった。自分なんかが偉そうに、と思うけれど、パソコンはきちんと向き合えば便利で素直な道具だし、少しずつ、自分の手のようにパソコンを使いこなしていく生徒を見ているのは気持ちがいい。  基本講師は一年の契約社員で、ある程度指名がもらえないと、継続契約できないしくみになっているが自分は特例なのか、この契約は適用されず、入社当時のまま正社員だ。他にも、スクール長は、根っから後ろ向き思想である星野の心中を察してくれたのか、なるべく星野を指名競争にかかわらずに済むような配属にしてくれている。専門学校時代に培ったITスキル以外に、外見もいいわけではない自分が置いてもらえているだけでもありがたいと思わなくてはいけない。  こんな弱肉強食な職場にいるからこそ、つくづく思い知らされる。ここでは、自分は草食動物のようなものだ。  いや、もしかしたら彼らの餌にもなっていないのだから、動物ではないかもしれない。サバンナに茂る草、もしかすると誰にも気づかれない雑草だ。 「今日の共通って、世界ちゃんが担当するんでしょ?」 「う、うん、そうだけど」  星野は、生徒たちがスクール入会後に必ず受けることになっている共通カリキュラムの講師を担当している。これは指名することができない。
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