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「はあ……もうダメ」
ジェシカがくらりと目眩のジェスチャーをみせました。
「待ってジェシカ、このドラゴン、今、「誰だ」って言ったよね」
「うっそぉ、全然わかんなかった。アイビー、もしかしてそれ、ミーミル語?」
たしかに、ドラゴンはミーミルにしか生息しない生き物です。でも、自分でもどうしてことばがわかるのか、それは謎でした。
アイビーはドラゴンにおそるおそる近づいて、そっと話しかけました。
「私は……ミーミルから来た孤児なの」
蒼い目はじっと、アイビーを見つめています。
「あなたは誰?」
という問いに対し、低いうなり声でドラゴンは応えました。
「俺の名はリュカ」
「なぜ捕まってるの?」
それには答えず、リュカは唸りながら眉間に皺を寄せ、太い鉄格子越しにアイビーにぐっと顔を近づけて、それから目を見開きました。瞳の奥で、ろうそくの火が揺らめいているのが見えます。
「おまえを見たことがあるぞ……屋根の上から落ちてきたあのチビだ」
ドラゴンに見つめられ、アイビーははっとしました。
「あっ、あのときの……」
あの犬!
犬なのに、空を飛べるなんて、どうも不思議だと思っていたのですが、それもそのはず。
あの頃はまだ、大型犬と見紛うほどに小さかったのでしょう。
「ドラゴンは、いまや兵器として戦争に利用され、絶滅危惧種だ。俺は密輸入されて逃げ出して、この家の裏の森に、上手く隠れていたんだ。それがあの日、おまえを助けたせいで、このザマだ」
「ご、ごめんなさい」
アイビーはひっと肩を竦めました。ドラゴンを怒らせてしまったと思ったのです。けれども。
「まあ過ぎたことだ。俺も不用心だったしな。今、助けてくれればチャラにしてやるぜ」
と、リュカ。その声音から、彼がいたずらっぽくにやりと笑ったように思いました。幼いアイビーを助けてくれたことからもわかるように、そうそう悪いドラゴンではなさそうです。
それに、兵器としてミーミルから密輸入されたのなら、捕虜として連れてこられた自分と、境遇が似ているではありませんか。
「助けてあげよう」
すぐにアイビーは、ジェシカのほうを向いて言いました。
「でも、ど、どうやって」
ジェシカ問いはもっともです。
すると、どうやらジェシカの言うことは通じているようで、ドラゴンは続けて言いました。
「どうやるかというとだな。いいか、よく聞け。そもそもこの計画は、カサンドラ家が密輸に関わることで儲けを横取りされていると考えている、ミーミルの武器商人が企てた。徹底的な組織潰しだ。
おまえら召使いのなかに、スパイがいる。ミーミルの武器商人の仲間だが、そいつの狙いは、俺を兵器として売り渡し、自由を得ることだ。
今にそのスパイが鍵を持ってくるだろう。その鍵を奪って、これを外せ」
矢継ぎ早に説明されて、半分ぐらいしか理解が及びませんでしたが、アイビーはことばどおりに、ジェシカに伝わるように通訳しました。
「スパイ? うそぉ……! ていうか鍵を奪うなんて、そんなのムリぃ」
即座に弱音を吐くジェシカ。けれども
「今日が人生最後の日になるか、それとも自由を勝ち取る最初の日になるか……どちらかだとしたら? 私たち、ふたりにとって」というアイビーの後押しに、
「はぁ。やるっきゃない……か」
と乗ってくれます。
「ふたり……いやリュカも入れて、三人なら、きっとできる」
アイビーとジェシカは、お互いの顔が見えずとも、しっかりと目を見交わして、頷き合いました。
そのときです。
カツ、カツ、と、石の階段を降りてくる足音が聞こえてきました。
その靴音には、聞き慣れた響きがあります。
アイビーは硬直してしまいました。
お屋敷内に潜んでいたスパイ、それは……。
「アイビー、まったくあなたって子は」
腹立たしげにつぶやかれたのは、もう何百回も繰り返されてきた台詞です。
「メイド長……」
アイビーは嫌悪を隠しませんでした。
「スパイはあなただったの?」
ジェシカは純粋な驚きの声を上げます。
メイド長はゆっくりとした口調で言いました。
「アイビー、あなたもミーミルの人間ならわかるでしょう。私は自由がほしいのよ。そこどいて、おとなしくドラゴンを渡しなさい」
「嫌だね。アンタは同じミーミルの人間だと思えない。卑怯者だし、ていうかそれ以前に、超意地悪だし」
吐き捨てるように、アイビーは言い放ちます。
「私はもう、どこのなにでもない、ただのアイビーよ」
そのことばを合図に、アイビーはメイド長に飛びかかりました。
しかし、メイド長はおもいのほか筋力があり、華奢なアイビーを組み伏せその頭に、隠し持っていた銃口を向けたのでした。
「同郷の者として可愛がってあげたけど、アナタとは意見が違うようね」
「は? 私アンタにイジメられた記憶しかないんですけど!」
気丈に言い返すアイビー。そのとき、
「アイビー!」
不意にジェシカが壁にかかっていた燭台を掴むと、メイド長の目に向かって突き出しました。
「あつい!」
という叫び声と共に、
パン!
と銃声が響きます。
「ジェシカ!?」
「私は大丈夫! それより今がチャンスよアイビー」
いつも気だるげで、のんびりしているジェシカの、あまりに思い切った行動に、一瞬呆然としてしまいましたが、この隙をのがすわけにはいきません。メイド長の手から地面に落ちた鍵を、手探りで探し当てると、いそいで鉄格子にかけよります。
パチン、と牢の扉が開きました。すかさず、
ドシンドシンドシン、
とリュカが迫ります。
「止まりなさい! ドラゴン!」
メイド長が、金切り声を上げますが、そんな彼女をドラゴンは乱雑に蹴っ飛ばしました。
「ぐゅっ!」
と、カエルが潰れたような声を出して、メイド長が気絶します。
「へっ、嫌だね。ここはもう、俺には狭すぎる」
言うやいなや、リュカはひょい、と口先でジェシカを咥え、背中に放り投げて乗せます。
「アイビー、手を伸ばして」
ジェシカの差し出した手を、アイビーはしっかりと掴みました。
ふたりを乗せると、バァンと扉を突き破り、ドラゴンは上階を目指しました。
明るいところでみるドラゴンは、全身美しい白い鱗に覆われており、ひときわ異質な存在感です。
裏切りによる奇襲と、さらに怪物まで現れては、お屋敷の人たちはもう大パニックでした。少し気の毒に思いましたが、かまっている暇はありません。
数発、ドラゴンが銃弾を受けました。しかし分厚い鱗にはかなわず、弾はカランカランと床に転がり、痛快です。
数人の追っ手を引き連れていましたが、階段を破壊しながらのぼりつめ、ついに四階の天井を突き破ると、屋根の上に出ました。
「ふー、案外簡単だったわね」
ジェシカがあっけらかんと言うので、アイビーは笑ってしまいました。
しかし背後では、まだしつこく銃口を向けてくる男たちの影も見えます。
「はっ! その程度の武器では、俺様の皮膚にかすり傷ひとつつけられねーよ!」
リュカは両翼を広げて、銃弾からアイビーたちを庇いながら言いました。
夜空の下ではほんのりと、ドラゴンの美しい白い鱗が目に映ります。
「しっかり捕まってなよ。ちなみに行き先は……んー特に決めてない」
「それって自由ってことでしょ? サイコーじゃない!」
晴れやかな気分で、アイビーは空に向かって叫びました。
リュカが翼をはためかせ、竜巻のようなすごい風が巻き起こると、その巨大な躯体は、嘘のようにふわりと空中へと浮き上がりました。
「うわぁぁぁ!」
下のほうで、突風にあおられた人々による叫喚が聞こえます。
「ほんとに飛んでるわ」「ヒュー!」
ふたりは歓声を上げました。
バサッと、リュカがもう一度力強くはばたくと、一行はさらなる大空へ、勢いよく駆け出しました。
風がうなりを上げるなか、
「私たち、もうなんにもないねー!」
と、アイビーが両手を広げると、
「そんなことないわ、私には、アイビーがいるもの」
隣でジェシカが熱く言い切りました。
こうして、三人のあてどない旅が始まることになりました。
月も、星も見えない夜空ですが、かれらの瞳は今、希望に輝いております。
おしまい
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