1297人が本棚に入れています
本棚に追加
/163ページ
「えーと、なんだっけ。あ、そうそう。人に頼れって話よ」
いつのまにか電話を終えた彼女は、記憶の糸口を勝手に手繰り寄せて、会話を再開した。
「まあ、いいんじゃない。その少年でも。近澤君も心を許してるみたいだし」
央介のことを蒸し返されて、急に焦ってしまう。
「知り合ったばかりだし、別に許してるわけじゃないよ」
一応、否定をしてみるものの、近澤の反論など、彼女の鼓膜には響いていないようだった。
「まー近澤君みたいなタイプはさ、近しい人よりも、まるっきり赤の他人のほうが頼みやすいんじゃない。いいじゃない、央介君。この際、お金払って手伝ってもらうのもアリだと思うよ」
赤の他人。
央介ははたして、これに当てはまるのだろうか。
彼はいわば、赤の他人でいながら、近澤が誰も寄せ付けなかった空席に、すとんと腰を下ろしてきた。
当然、昨日初めて知り合ったようなものだから、隣人であること以外はまだよく知らない。
近澤が把握している彼の情報といえば、学生で、ピザはマルゲリータが好きだということぐらいだ。
しかし、共有しているごくわずかな部分だけで、彼は誰よりももう、近距離にいる気がするのだ。
それこそ、細い水脈すら隔てていない、ちょっと歩幅を広げればつま先がぶつかってしまうぐらいの————
「有働さんさぁ……よくそんなに喋りながら企画書の確認ができるね」
考えて行き詰まり、近澤は論点を意図的にずらした。
彼女は先ほども、電話口でクライアントの話を親身に聞くポーズを取りながら、企画書をスライドする手を止めなかった。
「できるわよ。主婦はね、なんでも同時進行なのよ。家でも料理しながら子どもの学校のプリント見たり、風呂沸かしたりしてるんだから」
「……でも、企画書の金額、間違えてるよ」
得意げだった彼女の目が、途端、見開かれた。
「え! 嘘!?」
両指を動かしながら画像を拡大する姿を見て、近澤は笑った。
スピード感はあるが、ケアレスミスが多いのがご愛嬌だ。
話しながらも、央介のことが頭をよぎって、なにか淡い色をした薄片のようなものが、しんしんと降り積もる。
それを自覚するたびに、やはり、自己嫌悪に陥るのだった。
最初のコメントを投稿しよう!