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1話 織田信長とソースカツ丼と
「ふーふふんふふー」
買い物客で賑やう夕刻の商店街。
わたしは上機嫌で足取りも軽く、年甲斐もなくスキップしながら進んでいた。
どうしてこんなに機嫌がいいのか?
「んふふふふっ! それはだね……今日は奮発して薩摩の黒豚ヒレ肉を買ったからなのだよ!」
誰に言う訳でもないけれど、嬉しさのあまり大声で叫んでいた。
「うっ……」
商店街を歩く人達が驚いた顔して、怪訝そうにジロジロとわたしの顔を見てくる。
ヒレ肉を入れたトートバッグをぎゅっと抱きしめると、
「し……失礼しました〜」
誰とも視線を合わせずに、わたしは急ぎ足でその場を早々と後にした。
両親は仕事の都合で海外にいて、わたしは某地方都市にあるお父さんの実家に一人で住んでいる。
はじめはお爺ちゃんと二人で暮らしていたのだけれど。
去年、そのお爺ちゃんは亡くなってしまったのだ。
まあ、大往生だったから本人も満足して逝ったと思うんだよね。
んで、わたしが住んでいる御角家は、江戸時代の頃はこの辺りじゃたいそうな有名な旧家だったらしい。
でも明治になった途端に、一気に落ちぶれてしまったのだ。
その主な原因は、お爺ちゃんのお父さん。
つまりわたしのひい爺ちゃんがすっごい浪費家だったようだ。
ひい爺ちゃんが散財しまくった結果。
お爺ちゃんの代にはお金も殆どなくて、家の裏にある竹林と立派な日本家屋だけが手元に残ったって、笑って教えてくれた。
とまあ。
ここまでは、よくありそうな話なのだけれど……
「問題はそこじゃあないのだよね」
そう、我が家にはとんでもない秘密があるのだ。
商店街を通り抜け、まばらに建った住宅街を通り越して行くと我が家が見えてくる。
ずっと一直線に続く漆喰の塀を進むと、堂々とした造りの重厚な門構えが見えてくる。
門をくぐりると出迎えてくれる立派な木造造りの日本家屋が、御角家の母屋だ。
敷き詰められた白砂利と等間隔に埋められた飛び石を進み、ガラガラっと玄関を開け放つと——
「おう帰ったか。遅かったな、女」
わたしを待っていたのは、腕を組んで仁王立ちをした青年である。
ボサボサ頭の着物に日に焼けた健康的な褐色の肌。
胸元の襟を大きく開いた、だらしのない格好。
格好はまあアレだけれど、わりと現代でも通じそうなイケメンである。
「やっぱりまた居たのね……織田信長さん」
「おう。また旨い飯を喰いに来てやったぞっ」
言って、彼はニッと笑ってみせた。
「あ〜……はいはい。それじゃ準備するから待っててください」
「ふ。殊勝な心掛けだな」
「ど〜せ断っても無駄って知ってますからね。まあ、仕方なしにですよ」
「くはははっ! よく分かっているじゃないかっ!」
めちゃくちゃ笑ってるけれど。
皮肉すら通じないのか、この若い織田信長さんは。
織田信長さん——
戦国時代を代表する、超が付くほどの有名人。
この人が来たのは、これで二度目だ。
「で、だ。今日はなにを喰わせてくれるんだ? また唐揚げとやらでも俺は一向に構わんぞ」
キッチンへ向かうわたしの背後から、信長さんがペタペタと足を鳴らし着いてくる。
「今日は唐揚げじゃありません。でも、楽しみにしてくださいよね」
「ふむ……俺はお前の作る飯が愉しみでな。どれだけこの日が来るのが待ち遠しいかったか」
前に振る舞った唐揚げをまた思い出したのか。
信長さんはじゅるりと口を鳴らした。
どう言う訳か知らないけれど。
週に一度、自宅には戦国武将さんが訪れては、晩ご飯を食べていく。
その現象は、わたしの幼少期から続いているのだよ。
毎週、戦国武将さんがやってくるたびに、お爺ちゃんは彼らとお酒を酌み交わしたり、料理を作っては振る舞っていた。
小さい頃は特に不思議には思わなかったんだけれどね。
高校生になったら、さすがにこの状況は変だと考えるようになった。
「でも慣れって怖いわね……あはは」
戦国武将が家に来る、この状況。
変だとは思うけれど、受け入れてる時点でわたしも十分におかしいと思う。
まあ、とにかくだ。
彼がここにやって来て、ご飯を食べると言う事実は変えようがないのだよ。
◇
キッチン――
わたしは制服のまま、お気に入りのエプロンを身につけた。
日本家屋にはおおよそ似つかわしくない、現代風のキッチン。
ひとが2人並んでも、窮屈さを感じさせない広さ。
上に設置された棚も、155センチしかないわたしが容易に手が届くように設計されている。
「それにしても……いったい何処から見つけ出してきたのよ?」
夕食の準備を始めようとしたわたしは手を止めた。
キッチンからは居間がちょうど覗ける構造になっている。
八畳ほどある和式の居間では、信長さんが大吟醸の瓶を片手にラッパ飲みしてるし。
「せめてコップに注いで飲んで欲しい……っと、呆れてる場合じゃない。まずはキャベツの千切りからね」
冷蔵庫の中からキャベツを取り出し、千切りにする。
トントンと、小気味良い音でキャベツを切っていく。
切り終えたキャベツは、一旦他の容器に移動させる。
これを1分ほど水に浸けておく。
こうしておけば、キャベツのパリパリの食感が残る。
「んふふ……次はいよいよヒレ肉さんの出番ね」
トートバッグからヒレ肉のブロックを取り出す。
まな板の上に置いたヒレ肉のブロック。
これを約2センチ幅でカットし、筋をほぐすために切断面を軽く叩く。
んで、叩いたら中央に深く切れ目を入れる。
そこに塩胡椒で下味をつけた後。
肉に小麦粉をまんべんなくつけて、余分な粉は叩いて落とす。
溶いた卵にヒレ肉を浸し、パン粉を被せていく。
パン粉を数分間馴染ませている間に、フライパンに油を入れて170度まで熱する。
油が温まったら中火にして、ヒレ肉を1つずつ入れていく。
「ジュワっと肉が上がるこの音……うんうん、この匂いがたまらないなぁ」
肉はくっつかないように、次々と入れていく。
表面の衣がこんがりきつね色になるまで揚げる。
3分から5分程度、時々上下に返しながら色が付けば……
「……頃合いかな」
フライパンで泳ぐカツを揚げものバットに移し、余計な油をよく切る。
温めてたどんぶりに、ご飯、千切りしたキャベツの順に乗せていく。
そして最後にヒレカツを乗せて、自家製ソースをかければ——
「うん。ソースカツ丼の完成!」
出来上がったカツ丼二つを居間のテーブルに運んで、信長さんの前に置く。
香り立つソースと肉のいい匂いが、わたしの鼻腔をくすぐる。
「んふふふ〜匂いだけでご飯が食べれそうだよ」
ああ、もう今すぐにでもかぶりつきたい。
「前に喰った唐揚げとは違う物だな。
これは揚げた肉か……肉の下には葉野菜と炊いた米。この食欲を唆る匂いがする黒い汁はなんだ? 『たまり』とは違うみたいだな?」
「それはソースね。それがかかったヒレカツは……すっごく美味しいんだからっ」
「ぬ……そんなに旨いのかっ!?」
スンと鼻で匂いを嗅ぐと、信長さんの喉がゴクリと大きな音をさせた。
「じゃ、いただきますっ!」
わたしは揚げたてのヒレカツに、おもいっきりかじりついた。
衣のサクッとした食感。
ソースの味と肉汁が合わさって、美味しさが口の中いっぱいに、じゅわぁっと広がる。
「くふ…くふふふ」
自分で作ったのだけれども。
あまりの美味しさに顔の筋肉が緩み、ついついニヤけてしまう。
「なんだ、その底抜けに嬉しそうな表情は?」
「ぐ……だって美味しいんだもん。そりゃ笑顔も溢れますよぅ」
「そうだな。その気持ちは分からんでもないな……どれ、俺も喰うとするか……」
どんぶりに箸をあて、信長さんもヒレカツを口にした。
一口食べる事に、サクリサクリと美味しそうな音をさせている。
「んんん! これは旨い!」
美味しさに感激したのか。
信長さんはガツガツとカツ丼を一心不乱に食べ始めだした。
カツ丼を食べ終えるまで、わたしと信長さんは言葉を交わさなかった。
だって美味しいご飯は人を無口にさせるんだもの。
わたし達はソースカツ丼を食べるのに、ただただ夢中になっていた。
◇
カツ丼を食べ終えた信長さんは、かなり満足そうだ。
「旨かったぞ、倫。大義だったな」
「……急にどうしたんです? 褒めてくれるなんて?」
「こんな旨い飯を喰わせて貰ったんだ。感謝のひとつくらいは言わないとな」
急に改まって言われると、なんだか照れ臭くなってしまう。
「それにな。この飯の名前……ソースカツ丼とか言ったか。俺には縁起のいい喰い物だ」
「ええと……?」
「勝負に克たあ……なんとも縁起がいい名前じゃないか。気に入ったぞ、この飯をな」
「料理が気に入って貰えたのは嬉しいんですが……あの、これはソースカツ丼と言ってですねぇ」
「細かい事はどうでもいい。駿河の今川義元と一戦交える俺にとっては、とにかく縁起が良いんだよ」
今川義元と言う名前に、わたしの頭の中である歴史的な出来事が思い浮かんだ。
「え!? それってまさか——あ、あれ? 信長さん!?」
それを聞き出す前に信長さんの姿はもうそこにはなかった。
勝手にやって来て、勝手に消えてしまう。
以前来たときも、ご飯を食べたらすぐに消えちゃったのよね。
「もしかして桶狭間の戦いの前だったのかな? はっ!? まさか本当にわたしの作ったソースカツ丼が縁起が良くて、あの戦いに勝ったとか!? いやいや、それは無いわよ」
今考えたことを否定するかのように、力強く頭をぶんぶんと横に振る。
「でもまあ。また今度晩ご飯を食べに来たときにでも、話を聞かせて貰おうかな」
結果は知っているのだけれど。
本に書かれている事よりも、本人から直接聞くのとでは大違いな訳だしね。
それは、また信長さんが晩ご飯を食べに来たときまでの楽しみにとっておこう。
わたしは後片付けをしながら、そんな事を考えていた。
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