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はじまりは突然に
「あれ?」
真っ先に感じたのは違和感だった。
何となく部屋の配置が違うとか、置いてるものの中に見覚えのないものが含まれてたり、明らかに趣味ではない人形が置かれてたり.......そんな違和感だ。
俺の名は東里 仗助、今年で30歳になる.......ヒキニートだ。
名前だけ見ると幽霊で戦うリーゼントの主人公のようだが、現実は違う。
かつての職場で起きた問題が原因で対人恐怖症を患い、引きこもりを続けた挙句、国から補助を受けつつ時折病院に通院するだけの男だ。
自分で言ってて悲しくなるくらいに、ダメ人間だ。
しかし、今日の俺は何から何までがおかしかった。
まず何より、体がやけに引き締まっているのだ。
普通引きこもりを続ければそりゃ、出るところは出てくるし、弛むところはどんどん弛むものだ。
にも関わらず、俺の体はまるで絵に書いたような細マッチョだった。
違和感の元を確認すべく、部屋の違和感は横に置いて風呂場へ向かう。
そこにある姿見を見て愕然とした。
鏡の中にとんでもないイケメンがいるのだ。ーー今、漫画で時計塔に叩きつけられた名脇役の男が「鏡の中だとか言っているが、鏡の中に世界なんてないぞ」としたり顔で脳の中で語り掛けてきた。
そんな現実逃避をやめて改めて鏡を見つめる。
身長にして180前後、ついでに服を脱いでボクサーパンツ1枚になって体を確かめる。
細身で割れた腹筋と盛り上がった胸筋、髪は少しぼさぼさ気味だがそこから覗く顔立ちはなかなかの好青年。
ちゃんと美容師に行けばかなりのイケメンになるのではと予想される。
さらに言えば、少しばかり若くなっている気すらする。
もちろん、以前の俺はこんな顔じゃなかった。
「俺はいつの間に改造人間になったんだ?」
思わず漏れた声音は聞きなれた自分の声。そこは変わりないのかと、安心より先に困惑が出てくる。
「昨日は.......うん、普通にゲームして寝たよな? てことはこれは夢の続き? そう考えた方が納得できるんだが.......痛っ」
手の甲を強めに抓ると、もちろん痛みが走った。
ベタな確認方法だがこれで夢ではないと理解した。.......というか、ここまで物事を深く考えられて行動も自由な夢とか生きてきた中で1度もない。
なら、ラノベ的ではあるが「これは異世界モノと同じ展開だ」と、受けいれた方が遥かに楽だ。
「何よりここまでの確認した内容は、1つとして不利益はないからな」
目覚めたらイケメンになってて、身体も引き締まっていて、身長も伸びてきた。
これを勝ち組として言わんとしてなんという。
「こ、これなら.......ヒキニートだって、や、辞められるかもしれない」
俺はそんな願いにも似た言葉を吐き出すようにして、鏡に映るイケメンに話しかける。
「で、できるよな? いや、すぐじゃなくてもいい.......それでもこの状況から脱却する手立てくらいにはなる、ハズだ」
徐々に自信をなくして語尾が小さくなる俺だが、いつまでもパンツ1枚でいる訳にも行かず、ついでにシャワーだけ浴びて着替えることにした。
部屋に戻ると改めて、寝起きに感じた違和感について調べることにした。
「こんなカーペット使ってなかったよな。それにカーテンも、ベッドシーツも.......なんていうか、可愛い柄ばかりだ」
寝ぼけていた俺は気づかなかったのだが、どうにも部屋の中にある物類が尽く少女趣味だったのだ。
可愛いもの好きな男と言うのは知り合いにも多分に居た為、忌避感は一切ないのだがそれが自分の部屋に溢れんばかりにあるとなれば話は別だ。
まぁ、忌避と言うより困惑と言った方が正しいが。
「ここが異世界、と仮定するならここに住んでいた俺は乙女趣味だったのか?」
ベットの脇を見る。
そこには2頭身のマスコット人形が所狭しと置かれており、なにやら抱きテディベアまである始末だ。
見覚えある緑髪のツインテール、いわゆる電脳歌姫であるボーカルロイドと呼ばれるキャラクター未来だ。
発売されてからかなり時間はたつが、根強いファンと作詞作曲能力のあるユーザーが愛用し続けており、10年以上経った今でも不動の人気を誇っている。
「ここは同じなんだな」
人形を眺めながらふらりとベッドに腰を下ろす。
そこから眺める自分の部屋。
間違いなく自分の部屋に違いない。だが、微妙な歳に違和感を感じでしまい落ち着かない。
「うーん.......とりあえず、シーツとかは以前のシンプルなやつ探して直そう。金はあったかな.......」
財布を探し出すと、いつもの引き出しの中に生活保護の資料と共にまとめられていた。
「.......こっちの俺もヒキニートだったか。もしやと思ったが、安心したようなガッカリしたような」
苦笑いを浮かべつつ財布の中身を確認。多少の額があるの確認した俺は財布をポケットに押し込み、スマホとイヤホンケーブルを片手に玄関へと向かう。
家を出て空を見上げると燦々と降り注ぐ太陽の光に若干の眩暈を感じつつ、同時に久々の太陽の光を全身に浴びて心地よく背伸びをする。
「んーー! 快晴だなぁ、とりあえず駅から横浜行ってドンキだな。そこで買い物を済ませよう」
俺はスマホにイヤホンケーブルを刺して、耳にセットする。
入っている音楽リストを適当に選んで、流しながら歩くことにした。
軽くなった身体で歩くのが心地よくて、思わず鼻歌を歌いながら。
それが周りからの反応に遅れるキッカケになるとも知らず。
「え、何今のイケメン」
「かわいい、抱きたい」
「鼻歌歌ってた。尊すぎない?」
すれ違う女性からの声は音楽にかき消され、視線の変化は「見た目が良くなったからだろう」と高を括っていた。
半分は当たりだが、そこに大きな間違いがあった事にこの時の俺は気づいていない。
この世界が、男女比が狂ったあげく、貞操概念もねじ曲がった世界であることに気づくのはもう少しあとの事だった。
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