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交渉
歩くこと10分ほどして足を止める。
駅から少し離れたカフェに入ると、店員に「個室」へと案内された。
どうにも男の客が気兼ねなく過ごせるように個室が用意されてるらしい。
ただ女連れだと知って目を剥くほど驚かれた。
その際に「個室でよろしいですか?」と確認されたので、日菜子さんに問題ないか聞くと首が取れるんじゃないかってくらい頷いてくれた。
案内された個室は、正直合コンでも出来るんじゃないかってくらい広いカラオケボックスのような広さだった。
カチコチに固まった彼女に座るように言って、隣に腰を下ろす。
それだけで彼女はまた体を強ばらせて動きを止める。
とりあえず動けなくなった彼女の分も案内してくれた店員に注文を済ませる。
店員がしきりに「残った方がいいですか?退室しても平気ですか?」と聞いてきたが、俺は「彼女と2人きりで過ごしたいので」と言うと羨ましそうに日菜子さんを見てから部屋を後にした。
多分だが店員ならばここに残る口実になるので、男である俺と接触をとるチャンスだと思ったのだろう。
しかしその男である俺が拒否した以上引かざるを得ないわけだ。
静かになった個室の中、俺は日菜子さんの隣に腰を下ろす。
これまでの俺ならスタンディングオベーション並の勇気と言えるが、この見た目であり世界の変化があってこそだ。
自分に好意を抱いてくれていると、確信を持っているからこれほど堂々としていられるのだ。.......これが、イケメンの見てた世界なのか。
「さっきは助かりました。ありがとうございます」
「あ、い、いえ、その、私も嬉しかったです。庇ってもらえて.......」
「巻き込んだのは俺ですからね。それにああいった人は苦手なんだ」
「そう、なんですか? 美人だと思ったんですが」
「まぁ美人でしたね。ただ、態度が横柄というか尊大というか.......高圧的で好きになれそうにないんですよ」
「あぁ」
俺の言葉に思うところがあったのか、納得した彼女から少しだけ笑が浮かんだ。
「それよりもそのスーツ姿を見る限りだと、仕事中だったんですよね? 迷惑かけてすみません」
「え!? ああ! 気にしないでください、そもそも外をふらつくような仕事みたいなものなので普段と変わりないですよ」
「外をふらつく?」
「あ」
自分の言い方が不味かったと思ったのか、顔を赤くする彼女に思わず笑いそうになりながら話を促すと、どうやら彼女の仕事はお宅訪問して商品やら契約を取り付けるのが目的らしい。
ただ、あまり業績が振るわないらしく途方に暮れてるところに俺が現れたそうだ。
「ちなみに何を扱ってるんです?」
「えっと、結構広範囲ですよ。最近だとVRなどが人気になってきたのでVRアイドルを発掘する契約なんてあるんですよ」
「え、そんなのまで取り扱ってるんですか?」
「ええ、まあそれでもVRアイドルは候補まで案内する契約でして、もしそれが本契約となった暁にはそれに必要な機材などをうちの契約で購入して貰ったり.......と言った具合ですね」
「へぇ.......アイドルもお宅訪問で契約する時代かぁ」
「東里さんはーー」
「仗助でいいですよ」
「あ、うう.......じ、仗助さんはアイドルとか見ないんですか?」
「そうだね、だからアイドルには興味が無いけど.......VRには興味があるかなぁ?」
俺の言葉に彼女がぴくりと反応を示す。
流石は商売人と言ったところか、こちらの購買意欲を嗅ぎ付けた。
「.......ちなみにどのようなものをお探しで?」
「うーん、そもそもどんなのがあるかすら分からないんだよね」
「では簡単に説明しましょうか? お茶でも飲みながら」
「ええ、お願いします」
それからしばらく雑談と商品説明などを聞きながら過ごすことになった。
そこで驚いたのだが、この世界のVR技術はかなり進んでおり感覚の再現まで成功しているらしい。
なんでも首の後ろに小さなチップをBCGみたいなスタンプで埋め込むそうだ。チップはVRを使用する時に自動的にアクセスされて、ゲーム内で触ったり食べたりした感触をほぼ現実通りに再現する。
ただ、痛覚は従来の5分の1、快楽は3分の1となっているそうだ。
「痛覚は分かりますが、なぜ快楽も?」
「依存性を抑えるためと言われてます。その.......仗助さんにとってはお嫌な話かもしれませんが、えと、VRの中にはですね.......えーと」
日菜子さんが何やら顔を赤くしてモジモジしている。その姿を見て、先程の会話の流れで察してしまった。
「もしかして、エッチなサービスとかある?」
「.......です」
それで納得した。たしかにVR上で気持ちいい事ができたとして、それが現実なみであった場合感染症のリスクだったりその他諸々の面倒な部分を差っ引いてダイレクトにエロい事が出来るなら、誰だってそれにハマる。
だからこそ快感物質の発生を抑えているのだろう。ただ、痛覚のように5分の1では本来のゲームなどで得られる達成か等から発生する快感も抑制されてしまうため、3分の1という数値になったそうだ。
「ただ、それでも結構な人がVRに依存するらしいので気をつけてください」
「わかりました」
テーブルの上に並べられた資料を眺めながら考える。
欲しい.......すごく欲しい。
なんせ感覚再現VRなんて、かつての世界にもなかった新技術だ。しかもエロまでしっかり開拓されている。
興味を持たない方がおかしい。
だがーー。
「結構高い」
そう、1つあたりの機材が高いのだ。
1番安いゴーグルタイプですら50万円。バイクのヘルメットのような頭を覆うタイプなんかだと、追加の機材も必要らしく170万円。ただ、身体への負荷を限りなくゼロにされていたり、自動キャリブレーションが着いたベットもあるようで、色々と痒いところに手が届く。
「.......ううん」
俺が腕を組んで悩んでいると、日菜子さんが伺ってきた。
「興味あります?」
「あるけど、値段がなぁ」
「国からの補助金では?」
「え? そんなの微々たるものだからなぁ」
俺の言葉に日菜子さんが少し驚いたような顔をするが直ぐに持ち直して、少し考えるような表情をする。
そして次に話しかけてきた内容は.......。
「仗助さん、ウチで広告モデルとかやりませんか?」
「広告モデル?」
なぜVRの話が広告モデルの話に?
俺が首を傾げていると、日菜子さんは順を追って説明してくれた。
①日菜子さんの勤める会社はVR事業に力を入れつつある。
②男性のモデルは非常に稀で、大抵が男装した女だったりする
③男性モデルの価値は最低でも平均的な女性モデルの数倍以上なので、1度もしくは2度の撮影で稼げるとこのと。
「それと.......」
「それと?」
言いにくそうに言葉を詰まらせる彼女だったが、観念したように続けた。
「仗助さんと長期契約取れれば、私の実績もすごく伸びるので.......」
言われて肩透かし受けた気分だった。
もっと面倒なことをお願いされるかと思っていたので、そのくらいの私欲はむしろありがたい。
下心を見せない交渉ほど不安になるものは無いからな。
むしろ肉体関係を迫られるかとーー。
「仗助、さん?」
「その契約受けてもいいと思う」
「ホントですか!?」
嬉しそうに目を輝かせる彼女に「だけど」と被せる。
「このVR機器を買ってくれない?」
俺が指さすのはいちばん高い170万のフルダイブタイプのVR機器。
安全性もそうだが、感覚への働きかけが最もリアルとされるスグレモノだ。
「そ、それは.......」
「高い?」
「.......」
「でもそんな高い物を訪問販売してるのは日菜子さんだよね?」
「ぅ.......」
痛いところを突かれたと、顔を歪める。
だけど俺が見たいのはそんなに顔じゃない。
「安心してよ。別に責めてるわけでもないし、ただ無償で買ってくれというつもりも無い」
不思議そうにこちらを見る彼女。俺は身体を横にずらして肩がぶつかるくらいに接近する。
距離を詰められ、目がわかりやすく泳ぎ出す彼女の手に自身の手を重ねる。
「もし、機材を買ってくれるなら1回10万円.......いや、1日10万で俺を買ったことにして良いよ」
一瞬の静寂、その直後目に見えて彼女の顔が赤くなった。
俺の言っている意味が理解出来たのだろう。
そう、俺は今「売春をもちかけている」のだ。
それも170万の大勝負。
冗談か何かではと疑う気持ちと、ぶら下げられたキャロットの大きさに飛び付きたい気持ちがせめぎ合っているのがよくわかる。
証拠に彼女の息は荒くなり、先程までは隣に座った事で戸惑っていたことなどすっかり忘れ、むしろ向こうからにじり寄ってくるしまつだ。
このままだとキスされる。
それも悪くないが、交渉を終わらせてからだ。
なので、俺は人差し指を彼女の唇に当てて「答えは?」と聞くと、ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた。
「.......か、買います」
それは「俺を」なのか「VR機器を」なのかは明白だった。
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