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少年は週末になると、湖畔の森の中にある小屋にこもるのが習慣になっていた。
簡素な小屋は少年の父親が建てたもので、椅子と机、本棚、テーブルとベッド以外に家具はない。
夜の灯は灯油式のランプだけだ。
今日は土曜日。いつものように小屋に1泊して帰る予定だ。
食事は携帯食、水は近くの湧水から得ている。
少年は、本棚に畳んで置かれてある古地図をテーブルに何枚も並べてにらめっこしている。
今日も昼からいつものように地図を見比べているが、暗くなったのでランプに火をつけた。
地図は少年の曽祖父の時代から毎年作られているもので、湖の地図だ。
なぜそんなものを作るかというと、年々歳々湖が不規則に移動しているからだ。
曽祖父から祖父へ、祖父から父へ、父から少年へとその作業は受け継がれてきた。
だから新しい地図もある。
しかし今の時期、少年は地図を作るためにやってきたのではない。今年の分は既に作ってしまっている。
少年は湖の移動を仔細に調べているのだ。
「おっと、もうすっかり遅くなったな」少年はひとりごちると、部屋の隅に置いてある天体望遠鏡を手に取った。
小型だが精度の高い反射式望遠鏡だ。
少年は担いできたザックからヘッドランプを取り出し、頭にバンドで固定すると灯油ランプを吹き消した。
そして天体望遠鏡を持って小屋から出ると湖に向かった。
定位置にたどり着くと天体望遠鏡を平たい岩の上に置いた。
三脚の突端が当たる位置は僅かに窪んでいる。なので設置は楽にできる。
「仰角はこれでいいかな」少年はヘッドランプを消すと望遠鏡を覗いて天球を観測し始めた。
時々流れ星が見えた。
一通り観測を終えると「今日も大丈夫そうだな」とつぶやきながら三脚をたたみ望遠鏡を小脇に抱えた。
ヘッドランプは点けなくても道はわかる。今は点ける気分にはならなかった。
『ん? 誰か来ているな』
小屋には消したはずのランプがついていた。
「やあ、お帰り」
ドアを開けると、ずんぐりむっくりした体型の奇妙な男が、椅子に座って少年を待っていた。
顔はモグラに似ていた。
「こんばんわ」少年は軽く挨拶をすると、望遠鏡を隅に片付けた。
そして自分の椅子に座った。
「湖が来年どこに移動するか分かったかね?」奇妙な男は少年に尋ねた。
「大体わかりましたよ」
「流れ星はどうかね?」
「今年は湖の周辺は少ないですね」
「それは良かった」
逆に少年が聞いた。
「『雨漏り』はどんな様子ですか?」
「最近、少しひどくなってきたな。早めに移動先を決めたいものだ」
奇妙な男は、地底にある村に住む人々の長だ。村は湖から少し離れた地下深くの空洞にある。
少年の一家とは何世代にもわたって付き合いがあるのだ。
10年前に流れ星が大量に降った時は大災害になった。
流れ星は時々地面を通って地中深くまで落ちていく。
中には地球の反対側から飛び出してしまう流れ星もあるくらいだ。
その年は幾つもの流れ星が湖の底を突き破って地中を深く深く飛んでいった。
そのはずみで村の空洞も突き破られ、大量の水が侵入したため村人が何人も死んだ。
そこで別の安全な空洞を求めて地底に住む人々は移動した。
しかしその移動先も、去年からポタポタと雨漏りのように、水が天井から落ちてくるようになったのだ。
遠くに落ちた流れ星の影響らしい。
今の所は大丈夫だが、大災害の記憶も新しいうちに移動した方が良いということになった。
少年は最近作成が終わった湖の地図をテーブルに広げると、赤くマーキングされた地域を示した。
「この地域なら湖が移動しても十分離れているので大丈夫です」
少年は次に、湖の予想移動範囲を示した。
「そのあたりは空洞が少なくて狭いんだよ」困ったように地底村の長は言った。
「仕方ありませんね。分散して住むのはどうでしょうか?」
「それも手だな。掘って広げるにはかなりの期間がいる。村で話し合うよ。この地図はもらっても良いかね?」
「どうぞ。2枚作ってありますからご遠慮なく」
「じゃ、また来るよ」
「週末はいますので遠慮なく来てください」
地底に住む人は地底の村に帰っていった。
「ふーっ」とため息をつくと少年は十数枚の地図を出してきた。
10年前の地図には少年の母親が死んだと思われる位置がマーキングされていた。
母親は湖の中程で泳いでいた時、突然、大量の流れ星の襲来を受けた。
不幸にも1つの流れ星が母に当たり、湖の深くまで沈めてしまったのだ。
一緒に来ていた父親と、たまたま相談に来ていた地底の人たち数人が目撃者となった。
だからその位置はほぼ正確なはずだった。
しかし母親の死体は上がらなかった。潜水夫が調べても見つからなかった。
父親は諦めた。
しかし息子は諦めなかった。
幼いながら地図を学び、天体観測を学び、湖の移動を学び始めた。
湖の移動から母の移動先がわかると信じて。
明日は潜る日だ。日曜の昼間は潜水具を身につけて湖底にいるはずの母を探す。
それが少年の習慣の一つだった。
「母さん、必ず助けるからね」
少年はベッドの下から潜水具を引き出して点検を始めた。
本格的には潜水直前に行うのだがこれも習慣になっている。
少年は流れ星が嫌いだ。湖も嫌いだ。父親とも滅多に口をきかない。
しかし母親のために彼は毎週湖に来て、地図を調べ、天体観測をする。
全て母親のためだ。
でも、地底の人たちが少年を頼ってくれるのは嬉しい。
だから母が見つかっても、この作業をやめないでおこう。
少年はそう思いながら明日のための眠りにつく。
少年はこの時だけは、ちょっとだけ幸福になるのだった。
(20200823/0930完)
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