てるてる坊主にさようなら

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 はふはふして鍋を食べながら、陽平は「美代子さんの料理、うますぎる」と言って、母を喜ばせていた。ちなみに美代子というのは祝の母のことだ(名前呼びは母の要望)。  去年同じクラスだった時――しかも、まだそんなに仲も良くなかった頃のこと。昼休みに弁当を食べていた祝が目を離した一瞬の隙に、なんと「うまそう」という理由だけで、陽平は祝の弁当から卵焼きを盗み食いした。  啞然とする祝をよそに、陽平は椅子の上で片脚だけあぐらをかき、悪びれもなく笑った。 「卵焼きをおいしく作れるってすごいんだぜ」  そのことを母に話したら、陽平の家の事情が事情なだけに、涙をにじませつつ「連れていらっしゃい」と提案されてしまったのだ。  それからというもの、陽平は食材を持ってきては、学校帰りに青山家へと寄り、食材提供費として夕飯をご馳走されるまでのもてなしを受けるようになった。  陽平は今流行りの料理男子には程遠いし、教室の机のぐちゃぐちゃ感を見ると、冷蔵庫の中に気を遣うタイプとも思えない。というわけで、一人で住む家にナスを持って帰ったところで腐らせるだけなのである。 「……今日一日ナスと一緒かよ」  学校鞄に半強制的に詰め込まれたナスを見つめて、祝はボヤいた。また母と姉が目を輝かせて喜んでしまう。陽平が来たときの青山家の女子二人のはしゃぎようといったら、目も当てられない。 「なんかさ、ミョウガと一緒に塩揉みしたらうまいって、鈴木のじいさんが言ってたよ」 「おれ、ミョウガ嫌い。ナス味噌炒めがいい」 「えーうまいじゃんアレ! まあナス味噌炒めもうまいけど……ハジメ、子ども舌だなあ」 「おまえが無駄に舌肥えすぎてんだよ」 「美代子さんのおかげだな」  ニッと笑う陽平の顔を、満員電車の中、祝はどさくさに紛れて盗み見る。陽平が我が家の女性陣に喜ばれる理由――それはこの顔が一つ目の理由だ。  いつもニコニコしているこの顔。無邪気であどけない雰囲気を残しつつも、ふと笑うのをやめた時こそ、陽平の本領が発揮される。  もともと端整なつくりをしているし、目は自称パッチリお目目の母と姉なんかより大きく、鼻筋も健康的な川のようにしっかり通っている。唇も厚かましくないし、かといって不健康な色もしていない。茶色がかった髪は柔らかい雰囲気を体現するかのように繊細だ。  おまけに背は今年の健康診断で百八十三センチを叩き出し、祝より十五センチ以上も高いことが判明した。  喋らなければ、爽やかなバスケットボール選手と言われてもおかしくない。外見のスペックだけを考えると、あまりにも違いすぎてほとほと泣けてくる。  唯一の救いは、陽平がとてつもなくバカで、学校の成績は見事に下の下の下であるということだ。理数系や文系科目はもちろん赤点の常連だし、英語においては小文字がいまだにいくつかわからなくて、書けないのだという。  だが、基本的に人懐っこいし、自分の整った顔に無自覚のため嫌味もなく、男女問わず人気がある。もちろん、イケメン大好きな祝の母と姉も例外ではなかった。  二つ目の理由はーー。  突然、電車が急停車した。キキーッと停まると同時に、陽平が「うおっ」と素っ頓狂な声をあげて倒れかかってくる。重たいし、男に寄りかかられても嬉しくない。 「ご、ごめん。大丈夫? ハジメは小さいから……」 「バカ。これから伸びるんだよ。ていうか今日の運転ヘタじゃね? さっきから駅に停まるたびに急停車してる気がする」 「そう? おれだけかと思った」 「おまえだけじゃねえよ。動く時もガッコンガッコンしてるって、今日」  電車はゆっくり動き出すと、駅のホームに鈍行で進入し、ようやく止まった。ドアが開き、祝達と同じ学校の生徒達が、人の多い車内を掻き分けて次々とホームへ降りていく。  そんな中、祝は毎朝のごとく「ほら」と言って陽平の手をにぎった。そして他の乗客たちに揉まれながら、自分より大きな陽平の体を守るように引っ張り、外へ出る。
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