スタート

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『試行段階のAIにはストッパーをかけてはいなかったけれど、万一あのAIを複製した際には、全てのコピー製品のプログラムの一部にブロックがかかるようになっている。  僕の声で、「スタート」と号令をかけなければ、最後のブロックは外れない』 「…………ということは……」 『あの子犬たちのカウンセリングスキルは発動しない。飼い主に悩みを相談されても、「それは大変ですね」と答えるのがせいぜいだろう』  購入者からのクレームの嵐におろおろと狼狽する彼らの滑稽な姿が目に浮かび、私は思わず吹き出した。  莫大な収入が、半端ない損失に塗り替えられるだろう。  そこに来て、私ははっと顔を上げた。 「……じゃあ、父さんが声の出ない理由って……」 『そう。  僕は声帯を除去した。あの恐ろしいロボットの封印を決して解かないために。  そして、自分自身の戒めのために。  人間の知能は計り知れない。だからこそ、傲慢になってはいけないのだ。それを踏み外せば、人間はやがて必ず自らの首を絞める』  大きな衝撃に、私は淡々とした父の顔を見つめる。 『優里香さんが、「ワケあり」を受け入れてくれる医師を紹介してくれてね。別人になるために整形もした。  これで、奴らが僕を探そうにもそう簡単は見つからないはずだ。  たとえ探し出しても、あの封印は永久に解けない』 「私と亮くんは所謂(いわゆる)ブラック科学者の付き合いでね、私たちの繋がりは誰にも漏らしていないのよ。  私の父もとんでもない変人科学者だけど、亮くんの事情を詳しく話したら心底同情して、できる限り私達に協力してくれてる。——どうせなら婿さんに来てもらえばどうだ、って」  そんなことを言ってしまってから、優里香さんは赤くなって俯く。  突然流れた甘酸っぱい空気に慌てて父を見ると、父も何やら照れたように頭を掻いている。 「——母さんね、父さんの失踪の3年後に離婚を申し立てて、あの男と再婚したの。  父さんは、もう自由だよ」 『……そうか。  僕も、もうAI研究からすっかり手を引いてね。今は在宅でプログラマーしたり、菜園で野菜作ったりしてるよ。  ほら、頑張ってトマトも美味しく作れるようになったんだ。お前、トマト大好きだったろ?』  父の温かな笑顔に、初めて堰を切ったように私の頰を涙が零れた。 *  予想した通り、母と助手の男が立ち上げた会社は例のイヌ型ロボットの欠陥により巨額の損失を抱え、呆気なく倒産した。  その後、彼らがどうなったかは知らない。あの男の属する組員か何かに追われてるとか……そんなことを思うと、ゾッとする。  親権が母から父に移り、私はその後すぐに北海道へ転居した。大学へは進学せず、必要な勉強は全て父から学んだ。  そして、あの暗号解読から10年。  北海道で立ち上げた私達の小さな会社『TUJI AI FACTORY』から、新製品の子グマ型AIロボットが来月発売される。  見かけは可愛らしいが、心理カウンセラー並みのカウンセリングスキルを持つAIだ。価格はできる限り抑え、すでに予約が殺到している。  このAIが、少しでも多くの人を光へ導きますように。  優里香さんと父、私の三人で、子グマたちに祈るように手を合わせる。  そして、最初の一台に、私は心を込めて「スタート!」と号令をかけた。  今度こそ、私達のスタートだ。
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