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トンネルの出口から少し離れたところに、あたしたちと同じように、避難した人たちが集まっている。警察官が数名いるから、事件の経緯を聞いてるみたいだ。あたしは薫と一緒にそっちに向かう。警察官には、無事に逃げられたこと、軽いケガ以外の負傷はないこと、他に逃げ遅れた人は見かけなかったことを伝える。教えてもらった話では、トラックの運転手含めて、みんな軽症か無傷で済んでいるらしい。
「はー、やれやれ」あたしは伸びをする。時計を見ると午前10時ちょっと前、遅刻だけど、なんとか3限目の授業には間に合うかも。
「ありがとね。あんたの声が聞けて嬉しかった」
そう言うと、薫もうなずく。そうして、学校に向かおうと数歩進んだところで、誰かがあたしの前に立ちふさがった。
「ちょっと、彼と何があったの?」
声の主は、コウさん。腰に両手を当てて対決のポーズ。カッコいい人だけど、だからこそ、その険しい表情が怖い。
「スバル。待っててくれたのか」
あたしの背後で薫がいう。スバルって、誰?
「薫は、避難する途中でトンネルの奥に戻ったよね? 君の安全を確認せずに、学校に行くわけにはいかないから」
「コイツが逃げ遅れてたのに気が付いたから、助けに戻ったんだよ。な?」
突然、薫が私に話をふる。会話についていけないけど、薫の説明は正しい。
「そうです。あたし、メガネを落としちゃって、膝も擦りむいてたから、逃げ遅れちゃって。それで、その」
あたしの説明では納得できなかったのだろうか。コウさんは身を乗り出してくる。
「それにしては、やけに親密じゃないの? 出てくるときの、アレは何?」
アレ、というのは、お姫様だっこのことだろう。
「あれは、火事の勢いが酷くなったんで、急いでたんだ。それに――」薫はあたしの頭をポンポンと叩いて言葉を続ける。「コイツ、小学生のころの友達だし。ほっとけないし」
「ふぅん……」
コウさんは、ちょっと不機嫌そうではあったけど、この説明で納得はしてくれたみたいだ。あたしは思い切って、口をはさむ。
「あのー、コウさん。薫と知り合いだったんですか?」
「コウさん?」と、後ろで薫が怪訝そうな声を出す。
「あ、それは、下級生が私につけたあだ名よ」
コウさんは、ウェーブのかかったロングの髪を、神経質そうにひっかいた。
「ああ、本名の『昴』の文字を、音読みしたんだな」
薫は合点がいったみたいだ。
「そ! なんか、私のことを仮想の恋人にしてる女の子がいるのよ」
困った風に首を振るコウさん。そこで思わず、あたしは笑って余計な一言をいってしまう。
「そういえば、コウさんはバレンタインデーにチョコをもらった数が、学年で一番だったとか聞きましたね!」打ち明け話をするみたいに、薫にも話を振る。「女の人なのに、女子にモテるのよ、コウさんって」
「へぇ? 初耳だ。昴はあんまり自分の学校のこと話してくれないから」と、薫が面白そうに笑う。
「ちょっと、それはいわないで!」
コウさんが恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてる。それで、あたしは薫と彼女の関係を察した。ちょっと羨ましくて、ちょっと可愛い。
「あの、私がよその学校の人と付き合ってるなんて、うちの学校の誰にもいわないでね」
「はい、誰にもいいません」
コウさんのお願いに、あたしは満面の笑みで答える。
くふふ、人気者の弱みを握ったわ。
やがて、あたしとコウさんも、薫も、それぞれの学校へ向かった。
薫が視界から消えると、隣でコウさんがつぶやいた。
「いいなぁ。お姫様だっこ」コウさんが、あたしを見る目は、なんだか恨みがましい。「薫クンったら、私とは手を繋いでもくれないのに」
「お姫様だっこなんて、あたしも生まれて初めてでしたよ」
偶然の事故の産物だけど、ちょっとだけ、あたしは誇らしく思いながらそう答える。
あの、トンネルを駆け抜けたほんの数十秒だけ、あたしは物語の主役になれた。あたしはそれで十分。本当のヒロインはこの人なのだから、役割は譲るとしよう。
「あたしから、薫にお願いしておきましょうか? お姫様だっこしたらコウさん喜ぶよって」
「待って、それは恥ずかしいからやめて」
ぶんぶんと首を振るコウさんの姿は、なんだか大型犬のようだ。背が高くてスタイルのいい人が、乙女っぽい仕草をすると、こうなるんだな。
くふふ。
あたしは悪巧みの想像を働かせる。あたしは薫とコウさんの恋を応援するキューピッドになるつもりだった。ただし、背中には悪魔の羽が生えている。
あたしはヒロインじゃない。でも、絵に描いたみたいな恋を、隣で楽しませてもらうくらい、いいよね?
「薫はねぇ、今は、あんなにかっこよくなりましたけど、小学生のころは――」
あたしはさっそく、薫のちょっと恥ずかしい過去の暴露を始めた。
明日からのバス停が楽しみだ。きっと、二人は、あたしの高校生活を楽しくしてくれるだろう。
くふふ。私は表情に出ないようにと留意しつつ、心の中でほくそ笑んだ。
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