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その日もいつものように、子の刻よりも三時間ばかり早く床についた。
「ほな、また明日ね」
「うん……」
そう言って布団に入った九条へ背を向けて、鬼丸も横になっていた。
暫く沈黙は続く……
鬼丸は涙が溢れてきたので、布団を頭から被って必死に声を殺した。もうすぐ行われることを知っているのに教えられない罪悪感に苛まれていた。
今九条に計画のことを打ち明けたら、向こうが動く前に密かに彼を逃がすことが出来る。だが、もしそうしたら……極秘事項を鬼丸に漏らした耶駒の立場が危うくなる。
彼はそんな危険を省みずに鬼丸が逃げやすいように事前にそれを打ち明けてくれたのだ。
鬼丸は二人の恩人を巡って揺れに揺れていた。
どちらをとるか――――――――即ち
どちらを捨てるか――――――――
そんなこと出来やしないと布団の中で首を横に振っていた。
結局悶々としているうちに、時間はどんどん過ぎていった。
九条の耳には届いているだろうか? 先程から本当に僅にだが、屋敷の周りの塀の向こう側で何人かの足音が行ったり来たりしている。
ああ。準備は着々と進んでいるんだな……
そう、思った。
何度もこの場で口を開きそうになる。しかしその度に思い出す。
先刻……自分の今まで蓄えた金子のいくらかを巾着に入れてこれからの旅の足しにと笑顔で寄越してくれた耶駒の顔がちらついてくる。
耶駒にはその時こうも言われた。
◇◇◇
「鬼丸さん。あんた馬乗ったことあるん? 」
その問いに鬼丸は首を横に振った。
「そうか。やけどこの金子で馬、買いなはれ」
「えっ? 」
「お馬さんの脚と人の脚とじゃ、向こうに着く時間に雲泥の差があるさかい。それにな、関(※関所)も簡単に通りやすいと思う。馬扱えるくらいの身分かて思われてな。あ、それと……」
耶駒はおもむろに懐から何か書いてある小振りな木簡を取り出して見せた。
「これも持って行って。わいが見よう見まねで作った過所(※通行許可証)の写しや。なんか聞かれたら『平安京の九条んとこの使いが秋田城主に渡来品の注文書届けに参る』言うておけばええ。やけどそこって割りとめんどい奴がおることあるさかい。これ見したのに、もし問答されてなんかややこしいこと言われ出したらこの袋から金子何枚か取ってちらつかせたらええ。金で解決出来るならどんどん使うてな。一刻も早う里に帰ることが出来るように。
ほれ、これさっき渡した袋に早う一緒にしもうて。絶対に無くさんといてや」
その光景はまるで、親が子の初めての長旅を心配して色々と世話を焼いているようであった。
「絶対に、無事帰ってや」
そう言うと師匠は弟子の頭に手を置いて、髪をくしゃくしゃと慈しむようにして撫でた。
鬼丸はそれに少し涙ぐみながら微笑み、ただ二言で答えた。
「うん……ありがと……」
それを聞いた師匠は涙を隠すように鬼丸から顔を反らして話題を変えた。
「あ。馬の乗り方は買ったとこで教えてくれる思うさかい……心配せんでええはずや」
◇◇◇
――――もうすぐ子の刻。――――
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