刺客、山猫

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山猫が浅い眠りから意識を取り戻すと、今度は獄舎(ごくしゃ)のような所に横たわっていた。 しかし前回とは違い手足は自由だった。 「やっと起きたか」 声のした方を振り返って山猫が目にしたのは、ここ数日の間ですっかりと見慣れてしまった顔であった。 手足を縛った縄を解かれるまでは、夜叉鬼に対して恐怖の念しか持ち合わせなかった。しかしこちらが服従してからというものの彼の態度を目の当たりにしたら、恐怖とは別な気持ちが生まれていた。しかしその気持ちというのはどんな類いのものなのかは全く見当がつかなかった。 獄舎は、以前放り込まれていたあの部屋と同じ様な石窟の中にあった。木製で目の細かいとても頑丈な格子の檻が岩の中に嵌め込まれていて、こここら逃げ出すことなど叶わないような代物だった。 突然極上の匂いが鼻をくすぐった。 長いこと嗅いでいなかったそれは、とても香ばしい。里の仲間がこれを焼いてよく自分や皆に振る舞ってくれた。 それがどうしても今すぐ欲しくて我を忘れ、大人の片手がやっと通るくらいの四角形の格子の隙間から両手を外に差し出した。 「そう焦るな。ゆっくりと食えよ」 そう言って山鬼の(かしら)が直々に彼の手に渡そうとしたのは、頭から木の枝で串刺しにされた炭火焼きの岩魚(いわな)であった。 一刻も早くそれを口に入れたく、手を伸ばした。するといきなりひょいとかわされた。それで山猫は思わず岩魚ではなく(くう)を掴んでしまった。 「なにをする! 」 飢えていた彼は激昂した。すると夜叉鬼は苦笑した。 「忘れていた。期待させることをしてすまんな。骨と頭を取ってから渡す」 「そんな事しなくてもいい! 早くよこせよっ」 山猫は苛立って格子をガタガタと揺すった。 「まあ待て。以前お前の様に空腹で限界な奴がこれを食った。そしたらどうなったと思う? 」 「? 」 夜叉鬼は魚の骨と頭を取り外しながら、身を(ほぐ)し話を続けた。 「一気にがっついたものだからこれの頭と骨を誤って丸呑みにしてしまったのだ。それが喉に引っ掛かると、とても苦しんだ。まるで拷問のようだった。苦しがってあまりにも暴れるものだから、羽交い締めにして口をこじ開けて喉の奥に手を突っ込んでそれを取ってやった。同じようになりたくなかったらもうしばらく待て」 山猫はそれを聞いてごくりと生唾を飲んだ。 その魚の身を、別に持ってきていた小振りな木の碗の中に入れると、今度こそ山猫の前に差し出した。彼はそれを奪うようにして取った。碗の中には何かとろとろしたものも一緒に入っていたのでそれをそのまま一気に喉へと流し込んだ。碗があっという間に空になると、山猫は尋ねた。 「このトロッしたものは何だ? 」 「どんぐりの粉を湯で煮詰めたものだ」 「旨い……」 「そうか。ならもっとやる。碗を貸せ」 夜叉鬼はそう言って笑いながら格子のすぐ近くに手を差し出した。 それを山猫は不思議に思った。 「あんたはなんでそんなに無防備なんだ。もし俺がその手を引っ張って身体を近くに寄せて、そのまま首を絞めにかかったらどうするつもりだ」 そう忠告した。すると夜叉鬼は不敵な笑みを浮かべた。 「お前はそんな事をもうしない」 「何故そう言い切れる」 「俺がそう思うんだから間違いない」 山猫は呆れた。 「はっ。そんな事を本気で言っていたら今に寝首をかかれるぞ」 「心配しなくてもいい。お前は絶対にもうそれをしない。俺は人の心が読める」 人の心を? そんな話、あるわけがないとは思いつつ、口にするのも馬鹿らしくなったので鼻で笑ってそれを言うのをやめた。 しかし夜叉鬼の言うとおり、実際にもう彼を殺す気には全くならない自分に対して少し腹が立った。 素直に碗を差し出すと、夜叉鬼はそれを受けとり、床に置いてあった土鍋の中から重湯をすくってまた山猫に渡してやった。 ◇◇◇ 「はあ。食った」 腹がやっと満たされたので、山猫は思わずそんな事を口走ってしまい急いでその口を手で塞いだ。 夜叉鬼はそれに軽く微笑むと、寄りかかっていた壁から背中を離した。 「よし。次は温泉だ。着いて来い」
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