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故郷へ
九条は自分の懐をごそごそと探ると、何かを鬼丸の胸の前に差し出した。
「うちの御守りの金子、持ってってや。
途中これで馬でも買うたら? 」
赤い布地に金の糸で縫い込まれている控えめな刺繍の巾着袋を、目の前に差し出されてそう言われた瞬間、鬼丸はぶわっと涙が止めどなく溢れてきた。
九条さんも。耶駒さんも。何でよそ者の俺にここまで親切にしてくれるのだろう?
そんなことを思った。
その理由は至極簡単なのだが、本人だけが答えを知らなかった。――――――――
鬼丸は自分がそれほど『純粋で温かい心をもっている』から、他のものを惹き付けているということにまったく気が付いていなかった。
鬼丸は涙で顔を歪めながら九条を真っ直ぐに見て言った。これだけは何故か伝えたかった。
「九条様ありがとう。これ、大事に使わしてもらう。
あのさ……俺上手くは言えないけど。
九条様が思ってるよりもさ。
この現はあなたにとってもっと……『親切なもの』だと思う」
それを聞いた九条は満足げに深く頷いた。
「鬼さんらしい、温い言葉やなぁ……おおきに。
引き留めて堪忍な。さ、早う! 」
鬼丸はその巾着を黙って受け取ると、深く一礼してその場をあとにした。
◇◇◇
「見つけましたで! 」
暫くすると是仁の部下が庭先にいる大将へ報告に来た。それを聞いた是仁は、彼に指示を出した。
「よし。ほなその場で準備をしながら待機」
「畏まりました」
そんなやり取りが別の部下たちとも何度となく行われた。
そして遂に……
「……堪忍どす……兄上様。こちらへ……」
東郷は稀仁を捕らえると、是仁の前に連れていった。
それと同時に放火の合図があり、屋敷の至るところから煙が昇り始めた。
◇◇◇
鬼丸は耶駒に言われたように、他の者に混じって正門をどうにかくぐり抜けた。
そこをすぐ左に曲がり、必死に走った。すると、飛び越えるはずの塀のすぐ前に人が立っていた。
「あっ、ようやく来たな。遅いでぇ、鬼丸さん」
「すまない! 」
耶駒だった。
鬼丸は内心嬉しかった。最後、彼に一目会うことが出来たから……
「何ちゅう顔しとるん? 」
彼は目と鼻から涙をだらだらと垂らしている鬼丸を見た途端、そう言って笑った。
鬼丸もあっけらかんとした彼の物言いに思わず笑ってしまった。
耶駒は塀をまじまじと見上げて言った。
「鬼丸さんなら行けるんちゃうか思うとったけど、こらちょい大変かな? 」
そう言って首を傾げた。
「やってみる」
鬼丸はそう答えた。
「耶駒さん、手、貸してもらえるか? 」
「ええよ」
耶駒はそう言われると何のことかすぐに理解して、組手をした。そして塀ギリギリの所に腰を据えて立った。
鬼丸は耶駒のことを思い切りぎゅっと抱き締めたかったのだが、それだともう離れることが出来なくなりそうなのでぐっと我慢した。
「いつでもええよ」
耶駒にそう後押しされると、もと来た道を少し戻った。そのまま丁度良いところで立ち止まり、くるりと振り返って思い切り耶駒目掛けて走ってきた。そして彼の組手の置かれているところに上手く片足を乗せて、そのままそこに力を込めた。耶駒はそれに合わせて組手に思い切り弾みをつけて持ちあげた。
「行けぇーっ! 鬼丸ーっ! 」
耶駒の声と共に鬼丸は高く宙に舞った。そしてヒラリと塀の上に静かに着地した。
直ちに下に目をやると、耶駒が額に手をかざしてこちらを見ていた。
「ほぉー。こらまたものすごい跳んだな」
そう言って笑っていた。鬼丸は彼の顔を見た途端、また泣けてきてべそをかきながら彼に伝えた。
「耶駒さん……
本当に色々とありがとう。
俺あんたに会えて良かった。
すごく大好きだよ。
どうか、俺のこと忘れないで。
さよなら……」
耶駒も涙声で鬼丸に伝えた。
「忘れるわけあらへんで。
わいもあんたのことめちゃくちゃに大好きやさかい、
鬼丸さん。
……ほなな」
それを聞くと鬼丸は満足そうに笑ってそこから慎重に降りた。
あとは九条の顔も、耶駒の顔も、この塀の向こう側から聞こえてくる人々の騒ぐ声や業火の熱気も、まるで何もかもを振り払うようにして全速力でとにかく走った。
そのまま星の配置を頼りに、耶駒に指示されたよう、川沿いを真っ直ぐに北へと進んで行った。
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