故郷へ

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「手荒な真似してえらいすんまへん」 「……一体何のつもりや」 是仁(これひと)は地べたに寝巻きのまま座る稀仁(まれひと)に目線の高さを合わせて屈み、そう謝罪した。そこに他意はなかった。彼は大きな溜め息をつき、口を開いた。 「前々からはぐらかしとったことの、遂にまわってきたんどす」 「? 」 稀仁は怪訝そうな顔をした。 「ここの屋敷のことでえらい前からつけとる奴らがいたんどす」 「何で? 」 「兄者が……」 「うちがなんかしたんか……」 「はい。……闇から様々なもん、買うてましたやろ? 」 「……違いあらへん」 確かにそうだった。稀仁は今まで、珍しく美しいものがあれば出所(でどころ)など気にせずに、何でも好きなだけ収集していた。 そして宮仕(みやづか)えもせず、お(みや)には反抗的な態度をとっていた。 それでこの世界から疎まれるのは至極当然のことであった。 稀仁はその背徳感から、何の曇りも無い是仁の瞳から思わず目を反らした。しかし弟はそれに構わず、続ける。 「ほんでいよいよ(やから)めが騒ぎ出したんどす。これをとしてお(みや)にあげる言うて脅された。まあ、ここ数年でどんどん大きなっていったうちらがただただ憎らしかっただけやろうな。要するに、嫉妬どす。 そやさかい本日、 『次子(じし)嫡子(ちゃくし)に制裁食らわした』…… そないな風にして、お宮に対する忠誠、周りに見せつけたったんどす。 ほんで、火ぃまでつけさしてもろうた理由(わけ)はといったら―――――――― 『証拠隠滅』どす。 兄者の集めた全てバレんように、灰に変えてまおう思て」 「……」 稀仁はそれを聞いて愕然とし、ただ座っているのがやっとだった。しかしおもむろに口を開いた。 「……さぞ憎いやろな……こんなろくでもない兄なんて持ってもうて……」 「……」 是仁は何も答えなかった。しかしその代わり、稀仁の顔をじっと見た。そしていきなり稀仁の着ている寝巻きの袖をぐっと掴んだかと思うと、彼の顔をそれでごしごしと擦り始めた。 「なっ、何するんやっ! 」 稀仁はそうされて思わず仰け反った。 是仁はその手を止めてこう言った。 「全く……寝る時までこないに白粉(おしろい)つけて……兄者の考えてることはさっぱりどすな」 そう呆れ気味に溜め息をついた。すると稀仁はムキになって怒鳴った。 「あんたにはわからへんで! うちが今までこの顔のせいでどないな仕打ち受けてきたかなんてっ……身形(みなり)のええもんなんかにはうちの気持ちなんてっ! ……」 是仁はそれを黙って聞き終えると、口を開いた。 「そやさかい……ほんまの顔。ずうっと白して隠しとるんどすか? 」 「……」 兄は弟から目を反らし、(だんま)りを決め込んだ。 稀仁のその顔は今、分厚く塗った白粉(おしろい)が所々崩れてきて、是仁が擦った場所からは赤と黒の入り交じっている大きな痣が姿を現していた。 彼は生まれつき、顔全体にこのような痣を持っている。 それが本人にとってはものすごく嫌なことだった。それ故、いつも異様なまでに顔に化粧を施していたのである。 「兄者……」 弟は兄を諭すようにして優しく語りかけた。 「あの時のこと。まだ引きずってるかもしれんけど……赤の他人に言われた言葉に一生振り回されるなんて、よくよく考えたらえらいアホらしいことや思わしまへんか? どうやったんどすか? それ言われるまでに自分のこと、や思てましたか? 少なくとも、わいら家族は兄者のこと化けもんなんて思たこと、いっぺんだってあらしまへんよ。 むしろそのひん曲がった性根(しょうね)を何とかしてもらいたいって常々思てました。父上や母上の好意も、自分から勝手に壁作って何でも悪いように捉えて。二人とも実の親なのに兄者をこの屋敷に一人だけ寄越したのも、ちゃんと理由があるんどす。 兄者が他の兄弟とおるといつも何かにつけて自分と比べ出して辛そうやったさかいって、おっしゃられてましたで」 稀仁は思い出した。 あの日。外に出て見知らぬ誰かにと呼ばれたあの時…… 兄を追いかけてきてそれを聞いていた弟は、こう叫んだ。 「やかましいな! どこがやで? 兄者は化けもんちゃうやろー! このど阿呆うっ 」 そう言ってその誰かに向かって次々と石の(つぶて)を何度も投げつけてくれた。 兄の名誉のために。 その誰かが走り去っても。 怒ってずっとそれを追いかけてくれた。 この兄には、そんな弟がいたのだった…… 稀仁の中で、鬼丸の言葉が甦る。 『この(うつつ)はあなたにとって…… 親切なものだと思うよ』 ―――――――――――― 「さ、取り敢えずうちの屋敷へ戻りまひょ。父上はもう喋れへんくなってもうたんやけど、こっちから言うことはまだ解ってるみたいやさかい……」 弟は兄に手を差し伸べた。 兄は顔をあげ、そして言った。 「是仁……あんたにはえらい苦労をさせてもうたな……」 「……ほんまどすな……」 弟はそう言って笑った。 ◇◇◇ 稀仁はこの後、体裁もあって弟たちのいる屋敷に戻ることが難しかった為、出家した。 そして現在は心穏やかに仏の道を日々歩んでいる。今日も朝から本堂で木彫りのご本尊に静かに手を合わせ、皆の無事を祈る。 無論、顔に白粉(おしろい)などはしていない。ありのままの姿で、座している。――――――――― ◇◇◇ 一方(みや)では。 「なあ、九条はん」 「何どすか? 」 「あんた、実の兄んとこの屋敷……焼き討ちしたんやって? 」 廊下で五人集まって喋っている公家たちにそう聞かれたので、是仁はその場に足を止めた。 「ああ。しましたけど? 何か? 」 それを聞くと彼らは一斉にざわめきだした。そしてその中の一人がまた話しかけてきた。 「いくらなんでもやりすぎ、ちゃう? 」 それに対して是仁は悪びれなく答える。 「血が繋がっていようがいまいが人様に噂されるほど迷惑で鬱陶しい邪魔もんどしたさかい。さっさと消さな後々めんどいな思て。徹底的にやらしてもろたんどす。ほな……」 そう言って軽く会釈をして、その場からまた歩き始めた。 するとその五人は、是仁にわざと聞こえるようによってたかって嫌みを言い始めた。 「兄を邪魔もんて……」 「まるで鬼のごとし……」 「恐ろしいなぁ。血は通ってるんかいな? 」 「あんまり関わらへん方がええで」 「触らぬ九条に祟りなし……」 それを遠くから聞き、是仁は口元を片方あげてニヤリと笑い、そして呟いた。 「ふん。やかましい蝿どもがどっかに散ってくれてえらい助かったで」
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