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ぼくは、ずっと悩みがあった。
この気持ちは、ずっと隠しておかなければいけないと思っていた。
だって--黙っていれば、ぼくたちは、少なくとも友達のままではいることができるから。
いつも一緒に遊んでいた「あの子」。
ぼくたちの関係は友達で、幼馴染で--
でもぼくは、それ以上に--胸が焼け焦げるほどの想いをあの子に抱いていた。
ずっとずっと一緒にいたくて、そばであの子に寄り添っていたくて
あの子と、ずっとずっと笑ったり泣いたりしていたかった。
そのまま、永遠にその時間が続けばいいのにと、どんなに願っただろうか。
そうしないと--ぼくと君は、どんどん体格が--身体がかけ離れていってしまうから。
心だけはせめてあの子のそばでいられるようにと、どんなに願っても
鏡に映るぼく自身の姿を、他の誰よりも、ぼく自身が大嫌いだった。
でも
でもぼくのこの気持は--あの子への気持は、絶対に隠しておかなくちゃいけないと思っていた。
もしも--もしもこの気持ちがあの子に分かってしまったら--
きっとぼくのことなんか、気持ち悪いとおもうだろうから。
ぼくにとってあの子は、ただの幼馴染というわけじゃなかった。
あの子は憧れだった。
たとえ性別は違っていても、ぼくはあの子になりたかった。
あの子のように、笑った顔が花のようにきれいで
あの子のように、まるで鳥が囀(さえず)るように美しい声で話し
あの子のように、纏う衣服が眩しすぎるくらい、輝いていたいと思っていた。
ぼくはあの子になりたくて--心の底から、あの子に近づきたかった。
あの子と同じ側に立っていたかった。
ぼくも、彼女と同じでいたかった。どうしても、向こう側に渡って、彼女のそばにずっと居たかった。
たとえどんなに望んでも、決してかなえられない願いだったとしても--
そんなあの子とも、この春には、離れ離れになってしまう。
ぼくは一般受験で地元の国立大学に合格し--彼女は上京し、専門学校に通うことが決まっていた。
一応、都心の私立大学にも合格してはいたけど、家の経済事情を考えると、それも言い出せないまま、国立大学への入学手続きを進めてしまった。
--これで、良かったのかもしれない。
だって所詮ぼくはどうあがいても、彼女がいる岸の方へ渡ることはできなくて
どんどん筋肉質になって体毛も濃くなることに抵抗し続けていても 彼女には近づくことはできないから。
どうあがいても、ぼくはぼくでしかなくて。
どんなに彼女と、彼女と同性になりたいと思っていても、
どんなに同性としてこれからも彼女と歩み続けたいと思っていても それは叶わないことだから--
彼女が上京する前の日、最後にぼくらは会った。
いつものように、昔からそうだったように、おしゃべりして、ただ彼女との時間を楽しんだ。少しでも、時間が延びればいいのにと思いながら。
「--いよいよ、か」
彼女が、夕日に染まった空を、窓からのぞきながら呟いた。
「--そう、だね……」
ぎゅっと心臓が握りつぶされそうになる。
明日には、もう彼女はこの町からいなくなってしまう。
ぼくと彼女が歩いてきた今までが、これからは別々の方向へと別れてしまう。
不意に、彼女は何かを決心したようにぼくに言った。
「--ねぇまぁくん。……ううん、まぁちゃん」
「--はは、久しぶりにそっちで呼んでくれた」
小さなころから一緒だったぼくら。
彼女とおままごとをして、かわいいお人形で遊んで--そんなぼくはかのじょにとって「まぁちゃん」という一人の友達だった。
いつの日からか、それは性別を意識した「くん」付けに変わってしまって、あの頃とは違うことを思い知らされていた。
「……まぁちゃん……あの……そのね……」
その彼女が、ぼくの手を取り、でも目をそらして--心なしか、夕日に照らされたせいか、頬を紅潮させて言った。
「--たとえ、他の人がまぁちゃんのことをどう言おうとも、私は--私は……その……」
「……真冬ちゃん……?」
彼女は--真冬ちゃんは、ぼくの言葉に意を決したように、ぼくの目をまっすぐ見た。
夕日に照らされた彼女の瞳は赤く燃えているように見えて--
いままでで、一番きれいで、美しかった。
「--私はまぁちゃんが、ありのままの、『女の子のまぁちゃん』のままでいてくれて、本当に嬉しかった。楽しかった。今までも--きっとこれからも。」
「--え……?」
真冬ちゃんの言葉を理解するのに、いったいどれくらいかかっただろう。
ぼくは、女の子でも、いいの--?
女の子として、生きていっても、いいのかな--?
許してくれるのかな--?
どれだけぼくはぼくの体を呪っただろうか。
それを--許してくれるというの?
君が--真冬ちゃんが--?
「たとえ体は違っても--私は、まぁちゃんがそばにずっといてくれて、それが当たり前だった。周りの目を気にして急に男子扱いしたこと、今はすごく反省してるの……もっと、もっとまぁちゃんの気持ちを……ううん、私自身の気持ちを知らなくちゃいけない、って、そう思ってたの……まぁちゃんが、今まで私と一緒にいてくれて、それがどんなに私の支えになってくれていたか--私は、他ならぬ私だけは、大人やいろんな人たちがどんなことを言ったって、まぁちゃんの苦しみを支えてあげたいって、そう思ったの。だって……だって、そうじゃないと、まぁちゃんが『あの頃のまぁちゃん』でなくなったら、私……」
彼女の揺れる瞳が、ぼくをとらえる。
彼女の言葉が突き刺さり、ぼくのコンプレックスを、呪いを解き放ち--いつの間にか、ぼくの視界は涙で見えなくなって、泣きじゃくるぼくの背中を、彼女が優しくなでてくれた。
「私、決めたの。東京に行って、頑張って勉強して美容師になって、まぁちゃんの専属のスタイリストになるって。だって、女の子の髪形にしてあげたいんだもん」
「ま……真冬ちゃん……!」
泣きじゃくるぼくを、真冬ちゃんが優しく両手で包み込んでくれる。
温かい手。細くて、柔らかくて--愛しい、大好きな人の手。
「まぁちゃん……まぁちゃんが女の子になりたいって思っていても、私は離れない。まぁちゃんが苦しんでるときは、東京からでもかけつける。女同士になっても、私とまぁちゃんは、きっとやっていける。私にとってまぁちゃんは……」
その先は、彼女の柔らかい唇でふさがれて、聞くことはできなかったけど
お互いに顔を真っ赤にしたまま、真冬ちゃんが照れ臭そうにこう言ってくれた。
「……私と、付き合ってくれますか、お嬢様?」
「……そ、それって……ぼくのこと?」
「まぁちゃんしかいないでしょ、もう。あと『ぼく』じゃなくて『わたし』でしょ?」
「わ、わた……ご、ごほん!そ、その……わ、わたくしでよろしければ……」
いいんだろうか。一生分の幸せが、この瞬間に凝縮されてるんじゃないだろうか。
「…まぁちゃん?そのあとは乙女からの熱いキスだと思うんだけど?」
「え、えぇ?」
恥ずかしい。女の子に女の子扱いされるのって、こんなに嬉しいんだ--
そんなことを考えていると、じれったく待っていた彼女にもう一度唇を奪われた。
長いキスの後、真冬ちゃんが言った言葉は、きっとこれからのぼくたち--ううん、わたしたちの関係を表していると思った。
「まぁちゃん。……溺れるくらい幸せにしてあげるから。」
ぼくの……わたしの心が、彼女に一生を捧げようと思わせるには、あまりにも十分すぎる言葉だったと、そのころを振り返って、改めて思ってる。
時代が平成という世でよかったとつくづく思う。
性別に対して、理解が徐々に広まりつつある頃に、ちょうどわたしは高校を卒業した。
もしこれがもっと昔だったら。わたしも真冬ちゃんも、もっと生きづらい世の中を生きることになっていたかもしれない。
今では懐かしい記憶だけど、今もあの頃のまま--わたしは真冬ちゃんと一緒になって、パートナーとして同じ人生を歩んでいる。
呪わしいほどだった身体へのコンプレックスも、ホルモン治療を始めとしたいろんな治療に賛成してくれた彼女のおかげで、ずいぶん和らいでいる。
ただ--
「--ただいま、まぁちゃん。私の可愛い『お嫁さん』」
「……もう、だから恥ずかしいからそれ止めてって……」
「えー?そこはまぁちゃんが『あなた、お食事になさいますか、お風呂になさいますか?それとも…』って言って、妖艶に私を誘うところでしょ!」
「ま、まってわたしそんなはしたないことできないし言えないよ!?」
「あれー?昨晩あれだけおねだりしたのだれだったっけー??」
「き、きゃあーー、だめだめそれは言わないでー!!」
やっぱりあの時の言葉通りになってるけど、それを本心で嬉しがっているのは、彼女には言えない。
--駄々洩れかもしれないけど。
Fin
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