私の愛は闇の中で

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 ホテルのバスルームから出てきた私を、彼はベッドの中から物憂げに見つめている。私はバスタオルを外して、ベッドの脇に座り、絡みつく彼の両手をやんわりと外した。 「リサ……綺麗だ」 「ん……電気消して」 「リサを見ていたいんだ」 「駄目。恥ずかしいわ」  私はベッド脇のスツールからリモコンを取り、スイッチを押した。照明の残像が一瞬瞬いたが、すぐに部屋は暗闇に覆われる。彼が不満を告げる前に、私の手はリモコンを放り投げ、シーツの中の彼の身体をまさぐった。熱く昂ぶる身体は私の手に翻弄されていく。彼の細長い吐息が、闇に包まれた部屋の空気を震わせた。  この時間が一番好きだ。傲慢な彼を服従させていく……もう、私に逆らえない、喘ぐだけの弱い男。暗い部屋の中、お互いの顔も姿も見えない中で、感じるのは肌と、汗と、激しい呼吸……。  私は、自分の若さと容姿に自信がある。彼と付き合ったきっかけも、彼の方が私の美貌に惹かれたからだ。  初めて会ったあの時、初来店で他の女の子を値踏みするように見回していた彼が、私を見た途端目を見開いた。私の美しい姿を賞賛する視線……そういうのって、私はすぐにわかるの。だって、私は他の女とは違う。このキャバクラでナンバーワンに上り詰めたのは、見た目だけじゃない。私のしてきた努力は、他の女なんかに真似できるものじゃない。  彼はこの店が入っているテナントビルのオーナーの息子だ。次期社長らしい。  この手の男はプライドが高い。金持ちのくせに、キャバクラの女の子の気を引くために散財はしない。逆に、女に尽くされるのが当然と考えている。水商売の女を粋に扱えないくせに、いっぱしの遊び人気取り……私は、そういう男を落とす術を知っている。  まずは、男を油断させる。そう、こっちがひたすら下手に出て、安心させつつ、決して特別扱いはしないこと。  来店時は、礼儀正しく挨拶するわ。指名を受けたら、笑顔でお礼して優雅に接客するの。他のお客が羨ましそうに彼を見ている。うんと優越感に浸るといい。そして時間になったら次のお客のテーブルに行く。まるで彼のことなど忘れたかのように、次のお客にはさらに親し気に、まるで恋する男にするように、愛しさを込めてお相手するの。  ほら、彼のプライドがくすぐられている。自分が特別じゃないってことに我慢がならないのね。私にとって、自分がただの客にすぎないってことが不満でたまらないのだ。  ここからが勝負になる。傲慢な男との恋の駆け引きは、欲求とプライドのバランスを保たせること。お店では他のお客と公平に扱う一方で、メールでは特別感をしっかりと匂わせる。ただし、しつこくしない。来店後のお礼に載せて、『お好きな料理など教えてほしい』とか、『お声が掠れているようでしたが、体調いかがですか?』など、軽く返信出来る内容だ。  プライベートで繋がってる感を持たせつつ、お店では気を持たせることを続けていく。二人のメール内容に、徐々に彼の個人的なことが混じり始めると、もうこっちのものだ。特に家庭の不満が出始めると、私はすぐに行動に移したわ。  日頃のご贔屓のお礼と言って、同僚の女の子と複数で彼をホテルのレストランに招待する。もちろん、支払いは私持ちだけど、お店の経費だと嘘をついて、彼に警戒心を持たせないようにしてね。食後は女の子達と同伴出勤してもらうわ、そこは商売だからちゃっかりとって感じでね。  ほら、一緒にお店に行かない私を気にしてメールが来た。彼が入店した頃を見計らって返信したわ。 『今日は久しぶりのお休みなの。ここのホテルのスパで一人っきりでゆっくりとすごすわ。他の子には内緒よ』  私の返信に、彼が燃え上がる様子が目に浮かんだ。きっと私の裸体を想像して、たまらない気持ちになっているでしょうね。あれこれ考えて、お店ではきっとそわそわしている。興奮を隠すために、お酒もかなり飲んでいるに違いないもの。  まもなく彼から電話が来た。 『まだホテルにいるの?』 『ええ、エステを受けてるの。全身がほぐれて、あぁ……いい気持』 『いいね……』 『男性用もあるわよ。疲れが取れるわよ』 『……来てもいいのか?』 『来て……』  タクシーを飛ばしてホテルに戻った彼は、すぐに部屋を取って、私となだれ込んだ。言葉は交わさず、部屋の明かりも点けないまま、私はお酒のにおいを纏った彼の全身を熱く、熱く燃え上がらせた。    そうして私と彼は関係を深めていった。私は彼にとって、無くてはならない女になることに努力は惜しまなかった。身体を引き締め、豊満な胸と細い腰で男の視線をくぎ付けにし、彼の虚栄心をうんと満たした。仕事や私生活でも、雑用や車での送迎など、尽くす女の価値を上げていった。  彼が二人の未来に不安を覚えて落ち着かない日は、私が友達から手に入れた特別なたばこで、気を静めさせた。すごく効果があったわ。しっかりと疲れが取れて、仕事に集中できるようになった彼は、会社や社長である彼の父親から絶大な信頼を得るようになった。  彼は私を得たことで、すごく幸せになれたのよ。  間もなく、彼は私の為に素敵なマンションを購入してくれた。彼は自宅を引き払って越してきて、二人の生活が始まった。  もう、私と彼は何物にも引き離せない。彼は私無しでは、身体も、心も正常には保てないもの。マンションの寝室に、分厚い遮光カーテンをつけて、昼間でも真っ暗にして私たちは愛し合った。  暗闇で愛し合う方がいい。熱を帯びた二人の身体に視線は要らない。私は美しい顔と体をしているのだから、見えなくても味わえばいいの。部屋には燻った葉の匂いと、二人の汗の匂いが立ち込め続けていた……。  そんな幸せな日々が突然終わりを告げた。私には全く理解できない理由で。  彼が言った。 「子供が産まれるんだ」  彼は病院に行くといった。奥さんが出産するのだと。  なんで、私にそんなこと言うのだろう。別に私に告げる必要は無いのに。私には何の関係も無いことなのに。 「あら、おめでとう」  私の返事に、彼は気だるげに視線を向けた。私は彼の不精髭の伸びた頬を優しく撫でた。浮腫んだ瞼、蒼白な顔色の彼。可哀想に、家庭の不和で悩んでいるのに、奥さんったら子供を作って彼を縛る気なのね。 「何か飲む?」  私はバスローブを纏って、ベッドから出ると、キッチンに向かった。バーボンの水割りを彼に渡すと、喉を鳴らして彼は飲み干した。そんな彼を眺めながら、私はバスローブを脱いで、胸をそらして乳房を大きく揺らした。そして、ベッドボードに散らかした粉薬を小指で掬いあげ、乳首にこすりつけた。  そのまま彼に屈み込むと、もうすでに喘いでいる彼の鼻先に乳首をかざした。犬のように乳首に鼻を擦りつけて吸い上げる彼の眼は、ギラギラと生気を取り戻してきた。 「リ、リサ!」 「ふふっ……まって、電気を消すから」  夜の帳が降り始めた外は、すでに町明かりが瞬き始めているだろう。でも、遮光カーテンで閉じ込められたこの部屋は暗黒に包まれている。電気を消して、ベッドに彼を仰向けに押し倒した。私のほっそりとした両足が自分を跨ぐのを、彼は荒い息で待っている。私の潤んだ花弁が、彼を寸前でじらしていった。撫でて、擦って……。零れ落ちていくお互いの体液が、二人の肌の隙間を埋めていく。 「ああ、リサっ! 頼む、もう!」  私は、彼が哀れに懇願する声を聴きながら、目を開けても閉じても同じ暗闇に、とても穏やかな気持ちに包まれていった。ここはなんて愛しい世界だろう。私は愛を込めて、彼の身体を包み込む。 「あ、んん……駄目よ。もっと、もっとっ!」 「おっおおっ! リサ! リサぁぁ」  私の中で燃え上がる彼を揺さぶりながら締め上げていった。もう私に従うしかないこの弱い男に、いったい何が出来るというの? 私無しで、何が出来ると? この暗闇に包まれた愛の場所は私の物。私から奪うことは絶対に許さない!  奥さんの待っている病院へは、私が彼を送っていくことにした。マンションの駐車場を出ると、帰宅途中の学生や、買い物帰りの子連れの母親が目についた。  すっかり暗くなっているが、この住宅地は街灯が多く、歩道は暖かな明かりに照らされている。私はアクセルを踏み続けた。 「お、おい、リサ。飛ばしすぎだぞ」  彼が掠れた声で言った。私は彼に返事をしようとして少し振り向いた弾みに、ハンドルを思ったよりも切ってしまった。  激しい衝撃音に全身が揺さぶられ、視界が暗転した。  サイレンの音が響き渡る。彼の怒鳴り声が聞こえた。なんだ、生きてたのね。  私も意識はしっかりしているし、どうやら二人とも無事らしい。でも、顔が痛いわ。胸も……。 「リ、リサ……お前、その顔っ」  彼の怯えたような声が間近で聞こえた。でも、私目が開けられない。ああ、そうだ額が破けている。こないだ注入したばっかりなのに。あ、鼻も……。もしかしてくっつけた軟骨ずれたのかしら。やだ口が痛い。前歯のインプラントは……。無いわ、取れてる! どうしよう、拾わなくっちゃ! あれ高いのよ。  私は手探りでシートの下に落ちている歯を探した。屈み込むと胸の様子が変だ。埋め込んだエキスパンダーが潰れていた、鎖骨の下がへこんだ風船のようにぼこぼこになっていた。  病院に運ばれた私は、大したけがはしていないものの、顔や胸の手術後の応急処置の為いったん入院した。  医者はしつこく私の視力を確認したがったが、私は目を開けることは断固拒否した。だって当たり前でしょ。今、自分の偽りの姿を見たら駄目。しっかり瞼を閉じなくっちゃ。  両眼をちゃんと覆って、光が入らないようにするの。この暗闇の世界を守っていく為なら両目なんていらないもの。  私は、手探りでバッグの中からペンを取り出した。この程度の鋭さならなんとか、両眼を挿し潰せそうね。  これで永遠に暗闇は私の物。美しい私の支配する、愛に満ち溢れたこの世界を、これからも私は守り続けていくの。 -終-
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!