7人が本棚に入れています
本棚に追加
*
娘さんをください、なんて、彼が父に頭を下げている頃。私は台所でアサリの砂抜きをしていた。彼の好物のピラフに混ぜようと、晩ご飯の支度をしていたのだ。
そこに母がやってきた。
すぐに私はフライパンに白ワインを加える手を止めて、頭を下げた。
「……私、東京でちゃんと転職する。倹約して彼に尽くす。……ほんと面倒くさい子でごめん。」
「もうええよ。」
思いがけない言葉が聞こえ、顔を上げた。
「苦労かけたね。こんな……ええ子に育ってくれて。ユメノならどこに出しても大丈夫。家にずっと閉じ込めてきた分、家事なんてお母さんより出来るもの。」
初めて見る優しい顔だった。
いや、見ようとしていなかっただけなのかもしれない。我慢ばかりだと思った環境が、帰る場所なのだと思うと、そのときふと愛おしく感じてしまったのだ。
「給料も自分達のために使いなさい。」
バターやニンニクで下拵えしたフライパンに、しゃもじで炊きたてのご飯を入れると、母はザルに入れたアサリをそこに投入してくれた。
「……帰ってくる。お土産たくさん持ってさ。だから、」
ピラフが完成した。平皿に盛り付けテーブルに並べる。
「元気でいてね。」
久しぶりにエプロンを着た母に、そこからは台所を譲った。
そのとき、彼からもらった真珠のネックレスが胸元で揺れた。いつの間にかスキップをしていたのだと跳ね具合で気づかされた。
そして不思議な夜をおこした貝の押絵のハンカチも、ポケットで眠っていた。
最初のコメントを投稿しよう!