貝の押絵と旅する女

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* 50メートル以上の海を跨ぐ箱形の歩道橋を渡り、 私と彼は「ミキモト真珠島」に足を踏み入れていた。 貝の仕組みや真珠の形成方法について学ぶことができる、離島を貸し切った博物館だ。海に囲まれた開放的な雰囲気と、綺麗な庭園を有することから、鳥羽でも有数の観光地として知られている。 この島は、昔、真珠養殖に初めて成功した場所だそうで、 とても丁寧に拵えられた養殖真珠と天然真珠の解説コーナーがあり、私達はそれを見て回っていた。 「ご両親反対してへん?俺たちが東京で暮らすこと。」 「……まぁ、今のところ。」 「驚いて言葉も出んのかもしれんな。三重から一歩も出たことない娘がせっかく三重で見つけた男。それが東京に就職したんやもん。しかもそれに着いてくなんて。」 「……でも、部屋や仕事探すために、もう何回も東京行っとるし。……今更っちゃう?」 「どうだかねぇ。」 彼は真珠の生成されるビデオをじっと、愉快そうに見つめていた。 そう。私は彼に付いて東京で暮らすことになった。 彼が人柄の良さで内定を勝ち取った企業は、働き始めてまだ5年目の彼に、結婚費用として充分なほどのお金を与えていた。 伊勢神宮の近くの大学で出会った私達は、付き合い始めてもう7年を迎えていた。結婚を考えるタイミングで、引っ越しと私の転職はいつの間にか必須になっていた。 初めて東京に行ったのは、彼と部屋探しをした日。つまりほんの最近の話だ。 驚いた。人の歩く速さ、多さ。迫り来る建物の無機質さ。こんなに殺伐としたところでマコトは育ったのか、と。 「疲れてへん?」 「疲れてへんよ。」 「嘘や。」 展示から目を逸らすと、彼は私の瞳をじっと真剣に見つめていた。 「我慢してる。頑固で芯が強くて、それが君のええとこやけど……違うんや。君はストレスを一人で抱え込んでまう。いっぱい溜め込んで丸く収めたストレスまで綺麗な真珠に見させてまう。」 何を言い出すんだと思っていると、ビデオナレーションが私達の頭上に流れた。 ──"小石や寄生虫等の異物が体内に侵入したときに、吐き出すことができない貝は、貝殻成分を分泌する外套膜でそれらを包んでしまうことで自らを守ります。それが真珠になるのです……。" 彼はそれを指差していた。 「君はずるい。結婚するのに。もっと俺を頼ってや、な。」 「……。」 恥ずかしい台詞を大真面目に言ってのける、風流さのカケラもない京都人。その彼のギャップが好きになったのだ。 「うん。疲れた、かな。」 目の前のショーケースに収まる本物の真珠を見て、私はこんなに綺麗じゃないと思いつつも、なんだか可笑しくて笑ってしまった。
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