貝の押絵と旅する女

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展示を見終わり、私達は外の庭園に出て、海を見ることにした。 昔ながらの白い磯着の海女さんが海に潜り、貝を取る実演をしているのを遠くからぼうっと眺めていた。 ──私はあまりにも磯の香りに慣れ親しんでいたのかも知れない。ふとそう思った。 私の家族は漁港の人間で、衣服や会話、食卓のご飯からも海の香がした。 そして、私のことを「貝のような子」だと大人達は呼んだ。それは決していい意味でなく、貝みたいに内向的な子という含みを持っていた。 まだ小学校低学年だった頃、度重なる台風で収穫が不振な年があった。 「倹約しなきゃ」と母がため息をついて、お小遣いがもらえなくなったのがきっかけだったのだろうか。 私は放課後に友達と遊ぶことや、欲しいものをねだることを、察して我慢するようになった。 それは十年以上経った今でも身についている習慣で 家族の買い物や料理は私の給料でこっそり賄っている。収穫の有無や老後のことを思うと両親には貯金してほしかったのだ。 大人になった今でも、休日に友達と遊ぶことはない。遊ぶ友達もいない。 もう我慢する必要なんかないのに。 私はそういう大人になっていたのだ。 子供の頃、そんな私を鳥羽に拉致するように誘ったのはマコトだけだった。 『鳥羽の、江戸川乱歩館に連れてってくれる?』 『え……私?』 『だって、三重のこと知らないもの。案内してよ!』 乱歩全集を抱えたまま、私の手のひらをギュッと握った。 その強引さ。私の人生にはなかった人種だった。 * そして、私の前にはまた、強引に連れ出そうとしてくれる人が現れた。 「明日、ご両親に挨拶しよう。朝から伊勢観光して、鳥羽まで来て疲れたやんな。晩ご飯食べにいこか。」 すっかり暗くなった海辺。 電灯が点き始め、海に浮かぶ島々を巡る遊覧船も最終便が到着し、船から人が降りてきた。 私は彼に手を引かれながら歩き続けていた。 この手を離さなければ。私はどこへだって行ける。そう思い込んだ。
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