61人が本棚に入れています
本棚に追加
彼の深い鼠色の瞳は、きっと僕を睨んでいる。射抜くような視線に背中が熱く、火傷しそうになった。
「おはようございます」
僕が周りに適当に挨拶を済ませる後ろで、彼が「おはようございまあす」と間延びした憎たらしい挨拶をした。
わざとだ。
「お、斎馬! 今日はいつもより早いじゃないか!」
「なんすか、それ。いつも人の出社が遅いみたいな」
「いつも始業ギリギリに出社しているだろう」
彼が上司の谷山さんと軽口を叩き合う。僕は、それを聞きながら自分の席へ座った。
椅子がぎしりと音を立てる。
不快感に苛まれ、眉間の皺を濃くなった。そして、これから始まる会議で使う書類を睨みつけた。
✳︎
会議も無事終わり、昼休み。
職場に残って昼食を摂る者もいるが、外に出て食べる者も少なくは無い。僕はその後者だった。
昼食は外に出て食べる派。
そして、決まって斎馬と食べる。特に彼と口約束をしている訳では無い。しかし、それはいつから始まったか分からない二人の日課だった。こういった日は彼との昼食はできれば避けたい。けれど、避けるという選択をしては彼の思う壺。それに、僕が何も言わずに会社を出たところで斎馬は、いつも後ろをついてくるのだ。
外に足を踏み入れると冷たい外気が頰を撫でた。
「今日は寒いですね」
「そうだね」
彼と行くお店はいつも同じ。
会社の目の前の信号を渡って左に曲がり、五分ばかり歩いた先のビルにある。
一階が定食屋になっているのだ。
煉瓦造りの赤茶けた外観に蔦が這っており、定食屋というより喫茶やカフェを思わす。
店の前に置いてあるイーゼルの黒板。今日の日替わり定食は焼き魚と書かれていた。
「今日の日替わりはシャケの塩焼きと野菜炒めの定食ですね」
「僕は日替わりにする。斎馬は?」
「唐揚げにしようかな」
店の中に入るとすでに結構な人数が入っており、僕と斎馬が座ると満席になった。
スタッフが水とお手拭きを持ってきてくれる。注文して待っていると斎馬が口を開いた。
「案外平気なもんなんですね」
見なくとも彼がどんな顔をしているか想像がつく。ニヒルに笑う彼が浮かんだ。
俺が誰かを抱いているところを見ても。
彼は更にいやらしく一言加えた。
昨日のことを言っているのだ。
ガヤガヤと昼食にやってきたサラリーマンたちの話し声で埋もれてしまうような言葉。
それでも、僕の耳は一字一句零してしまわぬように彼の言葉を拾い上げる。
「平気じゃなかったら、嬉しかった?」
本気では取り合わない。口元に弧を描き、袋に入ったお手拭きを取り出す。自分で言っておきながら、カラカラと喉が渇いた。
最初のコメントを投稿しよう!