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「お待たせしました!」
麻できた藍色の三角巾をかぶったスタッフの女性が、明るく定食と伝票を机に置いた。
「ありがとうございます」
斎馬の方を見た。湯気が立ち込む向こう側は、女性と置かれる唐揚げによって案の定、何も見えない。分かっていて見た。
気付かれる前に定食のシャケに視線を移す。いただきますと小さく言い、切り身をほぐした。
「北原さん」
不機嫌そうな声。彼が機嫌を損ねる必要はどこにもないというのに。
斎馬はこうやって昔から僕によくつきまとうのだ。
僕は何も答えず、目の前の昼食を食べることに専念した。熱々の白米にシャケを載せ、口に運ぶ。
うまい。
これは、斎馬のことなど忘れ、程よい塩加減の旬の脂に身が引き締まったシャケを食べるにつきる。しかも、今日の味噌汁は僕が大好きななめこだ。
斎馬は何も言ってこない。
無視していると決まって斎馬は、つまらなそうに冷めかけた昼食に手をかけるのだ。
「北原さん……!」
カツン――音を立てて、箸が床に転がり落ちる。
店に流れていた音楽、スタッフの動き、何もかもが僕の世界で止まる。
僕の鶯色の瞳は、いつの間にか彼の瞳を真っ直ぐ捕らえていた。
ゴッ……という鈍い音で、我に返る。
時が止まっていたかのようだった店内がまた忙しく動き始めた。
「てっ……」
斎馬が、痛そうに顎をさすってこちらを睨んでいる。
思わず手が出てしまったことはとても褒められたものではない。でも、そうまでしないと彼はいつまでもやめるということを覚えないのだ。
心臓がドクドクと煩く胸を叩く。彼に握られた手首が熱い。
「人の食事を邪魔するのが悪いよ」
自分の胸中を隠すのは得意な方で、彼に悟られたことはまだない。味噌汁がくらくら揺れている。あやうくひっくり返すところだった。
だが、この動揺がばれるのも時間の問題で、いつかは暴かれてしまうのではないか。
僕は、内心をひやひやさせながら斎馬と過ごしていた。
今また目が合えば、次は自分の動揺を隠し切れる自信が無い。
店員から箸を受け取って、熱を隠すために目の前の昼食に集中する。すると、斎馬が口を開いた。
「北原さんは、てっきり俺のことが好きなんだと思っていました」
彼は、鼻につく含みのある言い方をして笑った。悪い冗談だ。
僕は、煩わしくまた早まった胸の鼓動を隠すように、ネクタイを握り締めていた。
今日の斎馬はいつもより喋った。
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