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「でもまあ……北原さん、付き合ってますもんね。綾瀬先輩と」
飲み込もうとしていたシャケが喉に突っ返そうになった。
ここで先輩の名前が出てくるとは思うまい。
綾瀬先輩とは、僕と斎馬の高校時代の部活の先輩だ。誰にも言ったことはないが、彼が言うように先輩とそういう関係になってかれこれ、十年以上になる。
斎馬は、随分と前から僕と綾瀬の関係を知っていたようだ。今まで、それをほのめかすようなことは言われたことがあったとしても、彼がこうやって直接的に言葉にしたのは初めてだった。
僕が言ったわけではない。
斎馬が勝手に勘付いただけだった。だから、斎馬は綾瀬先輩と僕の関係の中身がどんなものかは何も知らない。
「そうだね、付き合っている」
しれっと答えると斎馬が黙った。
彼は、本気で冗談だったのかもしれない。それとも自分の予想に反した答えだったのだろうか。
先輩との関係を誰かに公言したのは、僕もこれが初めてだった。知っていた彼には、今更隠すことでもない。けれど、他者が聞いて受け入れ難い関係なのは変わりない。
先輩は同性なのだ。
水を一口飲む。
「はは、ほんとだったんですか?」
「そうだよ、早く唐揚げ食べなよ。昼が終わる」
彼はそれでやっと、いただきまあす!
と両手を合わせた。ザクリと衣のうまい音を立てて、彼がおかずを頬張る。
こんな奴だが、斎馬はベラベラ僕が同性と関係を持っている男だと言いふらすような男じゃない。それで貶めたりするような男でもない。そこは信用していた。
「唐揚げいりますか?」
「いらない」
「ああ、そう」
彼は、バクリと唐揚げをまた一つ口の中に放り込んだ。
斎馬は僕に何をしたいのだろうか。僕につきまとうことを止めてもらう良い機会だとも思ったから言ったのに。斎馬は唐揚げに夢中になっている。
その後は、斎馬と特に何かを喋ることはなく昼ご飯を食べ終え、職場に戻った。
パソコンを開き、ダカダカと報告書を打っていると上司の日向野さんに話しかけられた。
「北原、今日の親睦会行くだろ?」
「え?」
「え? じゃないだろ。会議のときにそういう話になったじゃないか」
そうだ。そうだった。
会議のときに流れでそんな話になった。僕がいる企画営業課に中嶋さんという女性が先月入社した。歳は二十代半ば。いわゆる中途採用。手入れされた黒に近い茶髪のボブ。年のわりには控えめな化粧をしており、可愛らしいだけでなく清楚な印象を与える女性だ。
先月末に親睦会をするはずだった。しかし、月の終わりに舞い込んだ仕事で急に忙しくなった。
今日は会社で決められた強制的なノー残業デー。先延ばしになっていた親睦会を誰かが今日やろうと思い出したかのように提案したのだ。
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