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1 鹿賀咲耶:Arch Wizard
星暦二一二四年。
粒子端末と呼ばれる素粒子状の電磁ニューロ・プロセッサを用いた次世代ネットワーク網『粒子センサ・ネットワーク』が世界を覆って五十年余り。
環太平洋経済圏加盟国・日本。
同じ加盟国家の東南諸島連合の北東部に位置するこの国は、大陸国家企業連邦に対する地理的要衝だ。
環太平洋経済圏の西側の中枢、日本首都『ニュートウキョウ』
その街は都心七区を含む内郭二十三区と、広大な外郭六百六十六区で構成されている。
この極東の首都は長年、環太平洋経済圏が実権を握ろうと画策、大陸国家企業連邦も係争地化するために工作し、欧州経済戦略会議が傀儡化しようと暗躍する、世界の裏側のホットスポットだった。
ありとあらゆる闇と影が跋扈し、表と裏の目論見が交わるマグマ溜まり。
しかしニュートウキョウは表面上、打算的、結果的な平和を謳歌している、そんな街だった。
その極東首都上空を、星が流れた。
丁度その空を、テレスコープAIアプリで補強した古めかしい天体望遠鏡で眺めている、変わった男がいた。
前髪の三分の一ほどが白髪の、若い男。
「流星……?」
その男、住処のビルの屋上で、天体観測をしていた鹿賀咲耶は流星を目撃すると、それが自分の運命の星であるとは知らず、粒子センサ・ネットワークへアクセスし、その情報を追った。
「スピンドルの周回周期と一致してる。降下艇? にしては温度が高すぎるか……発光しすぎだ。トラブルか?」
センサ・ネットの速報系アングラ・サロンには、矢継ぎ早に怪しい流星の情報が書き込まれている。
落下から約二分で既に一スレッドを消化し、次のスレッドが複数建てられている。
「降下艇じゃあないな。光量は高いが……燃え尽きてない……外郭六百六十六区のどっか、山ん中に墜ちたか」
超望遠テレスコープAIアレイの焦点座標に新たに数値を打ち込むと、高天軌道を回る宇宙コロニー群が映し出された。
アングラ・サロンに寄せられた情報によれば、それは天体の欠片ではなく人口の流星。衛星軌道よりも更に上空、高天軌道と呼ばれる地球高軌道上からの落下物と推測されるとのこと。
高天軌道を周回しているのは、宇宙開発公社スレイプニル所有の宇宙コロニー『スピンドル』だけだ。
その情報は観測写真と共に、即座に粒子センサ・ネットワークを駆け巡り、小一時間ほどでアングラ・サイトに無数の魚拓が作られ、二時間ほどで関係各所――おそらくは産業複合体からの情報規制が掛かり、三時間もするとスピンドルから降下艇が墜落した事実は、センサ・ネット上からは綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
それらの状況をセンサ・ネットで追い、一連の情報のバックアップを取り終えた咲耶は、大型のネットワーク・チェアのリクライニングを倒して体を預けた。
流星を見たのは二十一時前。気が付けば日付は変わっていた。
「スピンドルからの流星……ね……」
スピンドル。懐かしい名だ。
生まれ故郷だった。
咲耶の生業を支える、粒子センサ・ネットワークの知識と、脊椎に埋め込まれた粒子制御デバイスの制御技術を教え込まれた。
そうして暮らしていた。ニュートウキョウに比べれば陰気臭い街だ。質素な暮らしぶりの、頭の固い学者の街。両親は二人とも研究者で、あまり家庭を顧みなかった。
寂しさはあったが、若い咲耶は、そんなものなのだろうと達観していた。
だが十五の夏、母が急逝し、その事で父はますます研究にのめり込んでいった。
若い咲耶が、背後に広がる無限の深淵よりも、眼下に星空のように輝く夜の都に希望を感じたのは、無理からぬことだった。
十六の誕生日にスピンドルを離れ、咲耶は地上へと降りると、親類を頼ってニュートウキョウへ根を下ろした。
幸いなことに、スピンドル製の粒子制御デバイスは地上のそれよりも基礎設計が優秀で、その力でとりあえず食うには困らず、忙しくも生活が安定してきたころから、空を見上げる日が多くなった。
天体観測はそんな手持無沙汰で始めた趣味だった。いつも宇宙の話ばかりする父を嫌っていたはずなのに。
そんな郷愁を拭うように、地上ニュートウキョウの生活で身に着けた思考ルーティンが、集めた情報の分析を始める。
「スピンドルからの落下物。流星の規模からいってかなりデカい。当のスピンドルは沈黙。何かあったか。オレみたいな地上を夢見た若者の暴走、ってわけでもなさそうだし……そうすると、まあ……キナ臭いな……」
そこへ、プライベート・サロンに通話の通知。匿名。
咲耶のプライベート・サロンにアクセス出来る時点で、知り合いか、それとも居留守の類に意味がない相手だ。
咲耶は脊椎に沿うように埋め込まれた粒子制御デバイスを、オペレーション・モードに。セットリストを演算戦にスイッチ。
防壁が展開したのを確認。そこから三秒待って通話に応えた。
「どちら様?」
「やっほー咲耶。元気に働いてるか?」
通話に現れたのは、少女のバーチャル・アバター。
本人曰くは『美少女』らしい。
以前「美人に見えるかは人に寄るだろう」と言ったことがあったが、その答えは、統計的な美的レベルを指しているのではなく『美少女』というデザインを指しているので、好みに合っても合わなくても『美少女』と呼称するのがマナーだそうだ。
しらんがな。
といった具合に懇意にしている情報屋の村雨だった。
「なんだ、村雨か……」
息を吐いて、再び脱力。チェアの大きな背もたれに体を鎮めた。
五時間近くセンサ・ネットに潜って情報を集めていたので肩が凝って、粒子制御デバイスのある首から後頭部に掛けては熱っぽい。
ネットワーク・チェアは首の粒子制御デバイスが押し付けられないよう、隙間が開けてあり、排熱機構も付属している。
人間工学に基づいて首や肩への負荷を減らす構造をしていると謳う高級品で、長時間体を預けても首や腰が痛くならない。下手なベッドより快適な位だ。
「なんだとはご挨拶だね。おもしろい情報を持って来てやったのに」
「スピンドルから墜ちた流星の話なら間に合ってるぞ」
「めずらしく耳がはやいじゃん」
「耳じゃない、目だ」
「目?」
「アングラ・サロンに最初に流れた映像、一つはオレが撮影して放流したやつだ」
「マジか」
「丁度、天体観測してた時だったからな」
「咲耶のわけわからん趣味も、たまには役に立つんだね」
「他人からは良く分からんから趣味って言うんだ」
「そうなん? まあいいけど」
「話はそれだけか村雨」
「ここからはお金取るけどいい?」
おちゃらけていた村雨のバーチャル・アバターの表情が少し引き締まり、情報屋の顔になる。
村雨の場合、アバターの表情は表情筋のスキャンではなく、粒子制御デバイスで制御しているだろうから表情は当てにならないが、話題が商売の話になったことは伝わった。
咲耶は何も言わず、村雨の口座にいつも通りの手付金を送金。
「まいど」
「それで?」
「その流星事件にはまだ続きがあってね。その三時間後ぐらいに、一隻、降下艇が降下してるんだ。定期便じゃないやつ」
「スピンドルから?」
「そう、スピンドルから。こっちは強力なクロークAIアプリを展開していたらしくて、領域警戒に出ていた、横須賀の領域支配戦闘機しか観測出来てないはずだよ。どうだい?」
「領域支配戦闘機にハッキングを仕掛けたのか?」
「追加料金」
「がめついな」
「それだけの価値はあると思うけどね?」
にやりと笑う村雨のアバター。アニメ調にややディフォルメされたその顔は、そういう表情でも嫌味を誘いにくい狙いがあるのだろう。
とはいえ、ここで追加料金を取るのは、客を見定める村雨の定番だ。無駄になる情報でもなさそうなので、しかたなく追加料金を送金する。
「で?」
「領域支配戦闘機の超級AI相手に、基地サーバーからデータを引っこ抜くなんてまねは出来ないけどね――でも、その情報は一旦、産業複合体系のネットに流れて、それからすぐに荒事専門の下請け組織に依頼が放流されたんだけど、そこに添付されてた」
「その、降下艇の情報が?」
「そう」
「流星を追った降下艇の存在は、情報を遡った推測か……」
「信憑性は高いよ。そんな偽情報を大量に流す意味がないからね」
「情報屋の所見は?」
「別料金、と言いたいところだけど……」
「恩には着てやる、いいから話せ」
『二度目の別料金』は金を取る気はなく、サービスの名目で恩を着せるためにやっていることは、そこそこ付き合いも長いので知っている。
段取りを崩されたことの抗議か、村雨は不満そうな顔を一度見せてから、気を取り直して話を進めた。
「最初の流星の正体は謎。どの組織が確保したかも不明だけど、まあ、産業複合体の息のかかったところでしょ。日本軍が動いたとは考えにくいし」
「分からんことだらけじゃないか」
「企業の防壁は硬いし危ないしで、気楽には仕掛けられないって……で、降下艇の方は、流星を追ってきたスピンドルの工作員。こっちには間違いなさそうだね。地上側は民間組織を使って様子見……ってところかな」
「……なるほど。それで、オレのとこに話を売りにきたのか」
上目遣いに咲耶を見る村雨。
「そういうこと。お買い得でしょ?」
「どちらかと言えば、オレが口を滑らせるのを期待して話しに来ただけだろ……まあ、情報は助かったよ」
鹿賀咲耶は、一介の違法請負人や、民間組織の組織構成員などではない。
若いとはいえスピンドルからやってきた魔術師。
産業複合体がそれを放っておくわけもなく、咲耶はカドクラ傘下、アルテミス・ワークスの企業工作員に収まっていた。
それも粒子センサ・ネットワークを操らせれば最強を誇る超級魔術師と称されて。
だがしかし――
「……こりゃ明日あたり、会社から呼び出しが掛かるな……だるぅ」
現在午前二時過ぎ。
最強の工作員は、企業勤めのサラリーマンの苦悩をにじませるのだった。
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