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28 胚:Embryo
海里がその正体を伝えると、朝比奈はちらりと背後の咲耶を見、それから難しい顔をして視線を戻した。
「えっと……なンだ……陣笠の旦那が人間じゃねえってのは、そこはまあ良いとしてだ」
『そこはいいんだ?』
「あ? まあソレは別に良いだろ、旦那がウチの組を救ってくれたことには変わりねえ。人間じゃねえから仁義は要らねえなんて話はねえンよ」
そんなことを言う朝比奈に、海里は「ほう?」と反応してみせる。
「面白い考え方をする男だな」
「トバ組はスクリームフィストが作った組だからな。データとネットに生きる情報屋が、生かデータか、なんて気にせンのよ」
『いや気にするけど。っていうか薫、貴方別に情報屋じゃないでしょう?』
「いやいや、弁天姐さん、こういうのはハッタリも大事なンよ?」
実際問題、海里の目的が揺さぶりなのか何なのか、ハッキリしない。
例の“突然斬れる攻撃”を使えば、朝比奈を解体するのは造作もない筈だが、そうせずに電磁加速ハンドガンを使っているのも、どうもしっくりこなかった。
それに朝比奈にはもう一つ、しっくりこないことがあった。
「で、そこはまあ良いとして?」
海里が先を促す。
どうやらむこうも、朝比奈の軽口の続きの気になっているようだ。
「いやなに……アンタが陣笠の旦那の“母親”だってのが、驚きだってだけの話さ」
「どうしてそう思う? 鹿賀咲耶を構築する際に、私のパーソナルと記憶痕跡を使っただけの話だよ?」
「ならやっぱり“繋がり”みたいなもんはあるんだろ? あー、記憶痕跡ってなんだ?」
『脳の記憶に関するシナプス配列よ』
「そいつは盃を交わすくらいには“親”と“子”の繋がりなンじゃないのか? 俺だって別にトバの親父と、血が繋がってるわけじゃあないンよ」
朝比奈の言葉に、海里は「なるほど……荒事請負らしい考え方だ」と望洋とした表情で言った。
彼女は捉えどころのない感情を持て余しているようだった。
そしてすこし思案した後、改めて宣言した。
「――だけど、仮に私の子だったとして……それでも、咲耶には私の計画の礎になって貰うわ」
そう言って、海里は電磁加速ハンドガンを構えなおす。
「ああ……何となくだが、俺の、この感情に合点がいったぜ……」
朝比奈はサングラスの位置を直し、デーモンAIの憑りついた長光剣を、自らの得物と認める。
『薫ちょっと、まだ――』
「急いでくれよ、弁天姐さん」
咲耶の覚醒を弁天に託し、トレンチコートを脱ぎ落す。
ニュートウキョウのサラリーマンの仕立てとは違う、荒事請負御用達のデザイナーズ・ブランド・スーツを誇るように見せながら、白く輝く長光剣を持ち上げる。
「あンたが陣笠の旦那の親ってんなら、手を出すのははばかられたンだが……」
長光剣を軽く払って、スーツに皺一つなく半身、片手正眼に構えた。
「手前の野望で子を手に掛けるってんなら、そいつは筋が通らねえンよ……旦那の親、カドクラの偉いさんと言えど、不肖、この朝比奈薫が斬らせて貰う――」
刀身が自分の身体の延長のように感じるのは、海里のいう、デーモンAIの効能だろうか。
得体は知れなかろうが、役に立つものは使うのが朝比奈の信条。
その切っ先の感覚で殺気を探り、間合いを測る。
ゆっくりと間合いを詰めていく。
海里は、電磁加速ハンドガンを構えたまま動かない。
その最中で、朝比奈は切っ先が何かに触れたのを感じた。
物ではなく、センサ・ネット側にある、何か。
脳裏に、データの海を切り裂いてくるモノのビジョンが浮かび、咄嗟に長光剣で受けた。
――ギィィィンッ!
と、あの音が響いた。
白く具現化した長光剣が、それを受け止めて、断ち切った手ごたえがあった。
それを見て、海里が少し驚いた顔をした。
「なるほど? これは……糸か……あー、なんつったか?」
『単分子ワイヤー?』
「それだ」
『いや、あれは両手に持って巻き付けて使う暗殺用のもので、防壁を仕込んだところで強度も靭性も全然ないし、そんな刀みたいに振り回せるものじゃないわよ?』
「ふむ?」
それを聞いて、もう一度、朝比奈が、海里の間合いに踏み込んだ。
再び、粒子センサ・ネットワーク側の情報レイヤーで、朝比奈の剣の切っ先が辛うじて検知できるほど、捉えづらい斬撃。
それをアドリブで斬り払う。
「いや、その単分子ワイヤーってのであってるな……マキシの嬢ちゃんや、陣笠の旦那のがゴツいから、全部そうだと思ってたンだが……あンたのデーモンAIの正体は、単分子ワイヤーか。どうだい、あってンだろ?」
朝比奈が得意そうに言うと、海里は薄く笑って返した。
「遠からず、と言ったところね……まあ辛うじて扱えている程度なのよ。私には神耶ケイほど、粒子センサ・ネットワークを理解する才能がなくてね」
スピンドルの殺戮人形ことマキシの腕を切り落とせるようなモノが、辛うじてなら、デーモンAIがどういうレベルのものなのか、朝比奈には想像もつかない。
だいたい、世界最高と評された計測限界値の情報処理IQ保有者などと比べられたら、弁天の父親であるレジェンド情報屋のトバ・スクリームフィストであってすら「神耶ケイほどは――」と評することになる。
「少なくとも……あンたに使えるぐらいのモノなんだろう? わざわざ陣笠の旦那を犠牲にして、こんな大げさな方法でニュートウキョウにばら撒かなくても、カドクラの新製品として売りだしゃ良いンじゃあねえのかい?」
そう言うと、海里はまたクックと楽しそうに笑う。
それはどうも朝比奈を侮ってではなく、大した知識もないのに会話が成立していることを気に入っているような素振りだった。
こういうタイプは金貸しにも居るが、妙な気に入られ方をしているな、と朝比奈は思う。
「勘違いしているようだが、デーモンAIはそんな都合のいい代物ではないよ」
「どういうこった」
「さっきも言ったとおり、デーモンAIは宿主のパーソナルと記憶痕跡を下地として発生する。しかもその規模や成長は予想できない」
そう言って、海里は咲耶を指さした。
「――例えば鹿賀咲耶――いや【此花咲耶】のような無限に成長するデーモンAIをインストールされて、そこらの一般人の脳と粒子制御デバイスが受け止めきれるか、という話なのよ、これは」
「俺も似たような状況ってことなンだよな? そいつはどうなるんだ?」
黄金の骨で繋がった光剣の柄を突き出しながら聞く。
すでに助けられているようなものだし、長年愛用した長光剣なせいか、朝比奈は内心、そこまでこの得体のしれないデーモンに嫌な気はしていなかった。
「自我……或いは精神と呼ばれるものがデーモンと融合……確実に分かっていることは、肉体の主導権をデーモンに乗っ取られる」
「陣笠の旦那は今、そんなあぶねーもんをセンサ・ネットに垂れ流してるってことか?」
「そういう事だ。お前も精々、その剣に宿ったデーモンが、自分の手に負えるものであることを祈るんだな」
「おいおい……冗談じゃねえぞ、弁天姐さん、急いで陣笠の旦那を叩き起こしてくれ」
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