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30 覚醒:Awakening
「お前が、お姉さんということになるかなマキシ」
気密室に横たえられているのは、人ではなかった。
M4型戦闘義体X2。マキシと同型機。
身体つきはマキシとそう変わらなかったが、胸は平らで、男性器が付いていた。
「おねえ……さん……?」
マキシはたどたどしく繰り返す。
その様子を見て、宗像博士は嬉しそうに笑った。
「ああ。ケイの……二人目の“子供”だ」
その目には確かに狂気の色が宿っていたが、生まれて間もなく、そしてヒトではないマキシにはその色が一体何なのか、その時は理解出来なかった。
「彼は……私の……弟?」
「そうだ、弟だ。この世にまだ二人きりしか居ない、お前と同じデーモンによって人格モデルを構築した“偽造人格”……その二人目だ」
「……名前は?」
M4X2では可哀そうだ。そう、マキシは思った。
マキシの名は、宗像が気まぐれに付けたものだったが、マキシはそれを随分と気に入っていた。
「咲耶。日本人の名前だ」
「ワタシと違う?」
「彼はニュートウキョウに降ろして、海里さんのところでテストを兼ねて運用されることになっているからね」
「地上に降りちゃうの?」
「ああ。人間社会にどこまで溶け込めるか。テストする必要がある」
「どうして?」
「いずれ……彼の力が、必要になるからさ……」
宗像博士はそう言うと、楽しそうに笑った。その目だけが狂気に染まっていたが、そのことに気付く者は、もうこの世にはいなかった。
生まれる前から、彼には役割があった。
だけどマキシは、宗像博士の元で大切にされ、人間と変わらぬ生活を送ってきた。
それがなぜだか、無性に心細くて、マキシは“父”に聞いた。
「ワタシは……どうしたらいい?」
「……お前はお母さんと俺の人格データと記憶痕跡を複合して造り出した最初のデーモンAI……本来なら、経過観察が主な仕事……なんだが……」
「なんだが……?」
「マキシには、お母さんの遺言がある。これを」
そう言って、宗像博士はクローム・チップを取り出すと、マキシの首のスロットに差し込んだ。
チップに録音されていた音声が再生される。
最初に少しのノイズ。それから声が聞こえた。
『私と貴方の、娘……になるのかしら』
か細い声は、隣にいる誰かに話しかけていた。
マイクの位置をなおす音。
改めて声の主は録音を聞く者――マキシに向かって話し始めた。
『最初に機械の身体……ヒトですらないアナタを生み出すことを赦してほしい……私はここで命を終えるけど、私の人格と記憶痕跡は、絶えず変化し続けるアナタに託す」
咳き込む音。
「それがアナタの幸せに繋がるのか分からない。アナタが幸せを定義する存在に成長するのかすら、私には分からない。でも、私はアナタを生み出すことを後悔していない。アナタは希望、アナタは可能性、アナタは未来……」
声は次第にかすれていく。
「アナタの半分は私、アナタの半分は月臣。だけどアナタはアナタ。新しいヒト……」
最後に零れた一言まで、余さず聞き取ろうと、録音にノイズ・キャンセルとクリア・ボイスを掛けてボリュームを最大にする。
「――自分の意思を、思いを……どうか手放さないで……」
それが母の遺言だった。
父はそれを不可侵としていて、スピンドルの研究所においてマキシは最高位の研究者として父や母と同じ権限が与えられていた。
そうして、マキシは自らの意思で地上にやってきた。
迦具夜に逃れた父と、復讐の狂気に沈んだ海里の計画から、今や、唯一の肉親となった弟を救うために。
*
朝比奈が作り出した一瞬の隙。
マキシの背後で組み上がった【金鹿竜】が、その閃光を鉈のようにして薙ぎ払った。
景色を変える程に咲き誇る雪花も、伸びたその枝葉も、元々あった木々も、一切合切を蒼い閃光が横一線に斬り払う。
その中心で【此花咲耶】がその女性の腰のような幹を真っ二つにされ、赤い粒子に還っていく。
「咲耶ッ!」
意外にも、その名を最初に呼んだのは海里だった。
その視線が【此花咲耶】を両断した【金鹿竜】に向けられると、【怒りに燃えて蹲る蛇】がそれを乱れ斬り、海里の手にした電磁加速ハンドガンの銃口はマキシに向けられていた。
「戻ってきて……咲耶……」
それを気にも留めず、マキシは咲耶にその手を伸ばしていた。
「嬢ちゃんッ!」
朝比奈がマキシを助けようと、長光剣を振るおうとしたところで、デーモンAIの黄金の骨に覆われた右腕から血が吹いた。
デーモンAIの超反応によって【怒りに燃えて蹲る蛇】の攻撃に対抗していた生身の朝比奈の腕は、とうに限界を超えていた。
「くそったれッ!」
次の瞬間にはマキシは撃たれ、朝比奈は腕を切り落とされる。
そう、覚悟した時だった。
「これ借りるよ、弁天さん」
『えッ!?』
咲耶を守るように浮遊していた残り六基のドローンが、いつの間にかマキシと朝比奈の周囲を飛んでいた。
【此花咲耶】が切り倒され、周囲を埋め尽くしていた黄金の枝葉と雪の花が赤く粒子に還る中、再び【冬寂雪花】が咲いた。
電磁加速ガンの銃声も、デーモンAIの斬糸が切り裂く音も、その震える空気を凍り付かせる音がすべてをかき消す。
停滞フィールドの雪の花を纏うドローンは、極超音速の弾丸を受け止め、【怒りに燃えて蹲る蛇】の斬糸を凍らせて止めた。
三者三様の暴威が渦巻いていた空間を、六輪の雪花が静止させていた。
「鹿賀咲耶……【此花咲耶】に飲み込まれずに戻って来れたのか……?」
海里が名を呼ぶ。
陣笠の鍔をすこし持ち上げて、咲耶が顔を見せた。
六尺棒を伸ばし、一歩前。海里の【怒りに燃えて蹲る蛇】の迎撃圏内へ踏み込む。
斬糸は反応しない。
――タンッ、と六尺棒が地を突く。
それを合図に、一斉に斬糸が咲耶に殺到した。
「なるほど。【上泉】と似たシステム……朝比奈さんが暴いた通り、これは……攻撃衝動を察知して反応している?」
クルリと、六尺棒を回す。
棒に触れたところから【怒りに燃えて蹲る蛇】の斬糸は凍り付き、フワリと蜘蛛の糸のように絡めとられた。
凍って絡みついた糸を払うように棒を振ると、それは千切れて氷片に散る。
フィードバックがオーバーフローしたのか、海里の左腕がビクリと跳ねた。
「話は聞こえてました。アナタが……オレの、もう一人の母……?」
「人格データと記憶痕跡を提供しただけだ。お前たち、デーモンは常に変質し、進化するAIだ。発生源以上の意味はない。それにお前は……」
「……この計画の為に、意図的に造った?」
海里の言葉を繋いで、咲耶が答えた。
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