31 生まれ:Birth

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31 生まれ:Birth

 咲耶(サクヤ)が覚醒したことにより、戦況は海里(カイリ)の圧倒的有利から一気に拮抗状態へと移り変わった。  それに海里(カイリ)からすれば、暴走状態の【此花咲耶(フラワードリフト)】が消滅したことで、もはや戦う理由も失せたと言える。  それを知ってか、咲耶(サクヤ)朝比奈(アサヒナ)にいつもの調子で話しかけた。 「朝比奈(アサヒナ)さん、腕、大丈夫ですか?」 「なんとかな。やられたわけじゃねえンだが、慣れないもんぶん回しちまったせいで、腕がズタズタだなこりゃ」 「弁天(ベンテン)さん、残りのドローンで応急処置は出来る?」 『大丈夫よ』  朝比奈(アサヒナ)は邪魔になるとでも思ったのか、よろよろと歩いて、近くにあった手ごろなサイズの石に腰かけ、電子タバコを一服する。  その間、海里(カイリ)は銃を向けることもなく見送っていた。 「マキシ姉さん……で、良いのかな?」 「ボクの記憶も見たの?」 「ああ。朧げだし、オレの記憶とは食い違っているから、よくわからないというのが本音だけど……オレの為に無理をしてくれたのは分かったよ……ありがとう」  ぎこちなく言葉を交わす二人を尻目に、海里(カイリ)は肩を竦めて朝比奈(アサヒナ)に歩み寄った。  朝比奈(アサヒナ)は一瞬ギョッとするが、彼女に敵意が無いのを見て取って、肩の力を抜く。 「朝比奈(アサヒナ)さん、一本、頂けるかしら?」 「ん? ああ、予備がある。どうぞ」  不思議な光景だった。  先ほどまで鋼すらやすやす切り裂く刃を振るって、互いに殺し合っていた人間が並んで仲良くタバコを吸っている。  荒事請負(トラスト)朝比奈(アサヒナ)からすれば、実はままあることだったりするのだが、企業工作員(エージェント)咲耶(サクヤ)からすれば不思議な光景だった。  煙を吐きながら海里(カイリ)は少し、神妙な顔をした。 「口にあわねえかい?」  怒るでもなく朝比奈(アサヒナ)が聞く。 「紙のタバコは昔、吸っていたけれど……電子タバコの味は慣れないわね……(アマ)……これ、フルーツかしら?」 「味を自分の好みに巧く仕立てれば、そう悪いもンじゃねえさ」  そうは言いながらも、吸い込んだ煙を楽しむようにゆっくりと吐いた。  結局、酒やタバコなどでは、海里(カイリ)の胸を焼く復讐心は紛れようはずもない。  妙な緊張と、妙な弛緩を保ったまま、破壊の後の生々しい山の中で四人の影がゆっくりと伸びていた。  空にはいつの間にやら、夕闇が迫っている。  逢魔が時。  そんな禍禍しい時間に、憑き物が落ちたように木枯らしが吹いた。 「それで陣笠の旦那でも、アンタでも良いンだがな……なンで俺は、社長と一服やってんだ? 会社の休憩室か? ここは」  カラスの鳴き声を背景に、誰も聞かないので朝比奈(アサヒナ)が冗談めかして言うと、海里(カイリ)がまたクックと笑う。  そうして「私が話さないといけないのだったな」とでも言う様に、軽く、タバコを持つ手をかざしてから話始めた。 「M4A1――いや、ここはケイの意思を尊重してマキシと呼ぼうか――彼女のデーモンが【此花咲耶(フラワードリフト)】を破壊し、鹿賀(カガ)咲耶(サクヤ)が自我を失わずに覚醒した時点で、私の計画は頓挫しているからな。もう戦う意味も、咲耶(サクヤ)を殺す意味もないよ」  煙を吐きながら、残念そうに海里(カイリ)。或いはそれは咲耶(サクヤ)を殺さずに済んでホッとしたのではないかとも取れる溜息だった。 「こっちはあんたを殺そうにも、そう簡単にはいかねえし。陣笠の旦那が雪の花で守ってくれて、ようやく拮抗状態(トントン)ってところか」  朝比奈(アサヒナ)も電子タバコの甘い煙を吐きながら、肩を竦めた。  うっかり右肩を持ち上げられたものだから、右腕に激痛が走り、ドローンで応急処置をしていた弁天(ベンテン)に『筋肉も骨もボロボロなんだから、肩も動かさないで。なにやってんのよ、もう』と窘められる。 「オレの中に【此花咲耶(フラワードリフト)】と【冬寂雪花(ウィンターミュート)】……二つのデーモンAIがあったのは、その計画の為にしても、なんでなんです?」  暴威の戦場を、停滞した空気に作り替えた張本人である咲耶(サクヤ)が、六尺棒(ロクシャク)を突いて仁王立ちのまま口を開く。 「ああ。その身体、M4X2を用いて、宗像(ムナカタ)博士がデーモンAIに方向性を付けるテストをした。計画に都合のいい能力を持ったデーモンを生み出すために。そしてそれは、ある意味で失敗し、ある意味で成功した」 「どういうことです?」 「【此花咲耶(フラワードリフト)】の方には、意識は発生しなかったということだよ」  タバコを持った指で、海里(カイリ)は自分のこめかみを小突く。 「デーモンAIはあくまで、自己の変質と進化に特化したAIだったということね。神耶(カミヤ)ケイは生まれてくるデーモンに人の作為が入り込まないよう、細工をしてあった。それが私と宗像(ムナカタ)博士の見解よ」 「だけど【此花咲耶(フラワードリフト)】はアナタたちの思い通りのデーモンになったのでは?」 「ああ。だが、それはあくまでストレージ内に発生した演算領域(ラプラス)の有する能力の形に過ぎない。その力を自ら操れる意思や人格は、義体には生まれなかった」 「それで……オレが作られたわけですか」 「そういえばさっき、そこの朝比奈(アサヒナ)さんが私のことを母と言っていたけども……どうなのだろうな。【此花咲耶(フラワードリフト)】はマキシと同じ、神耶(カミヤ)ケイと宗像(ムナカタ)月臣(ツキオミ)博士の記憶痕跡(エングラム)から作られている関係で【冬寂雪花(ウィンターミュート)】の苗床には、ケイと私の記憶痕跡(エングラム)を使ったのよ」 「生みの親という意味では、母かもしれないですね。俺の父母の記憶は二人ともスピンドルの研究者ってだけです」  生みの親というには少し遠いな。と、咲耶(サクヤ)にはそういう感触だった。  そんな反応を見て、海里(カイリ)は少しホッとした顔をする。  あるいはデーモンとはいえ、神耶ケイとの間に産まれたモノを、自らの手で殺そうとしていたことを気に病んでいたのかもしれない。 「いずれにせよ、神耶ケイと私の、二人分の人格データ(パーソナル)記憶痕跡(エングラム)の複製。【此花咲耶(フラワードリフト)】が入っていたM4X2に、新たにデーモンの種を入力した。それが自己成長進化して生まれたのが君、鹿賀(カガ)咲耶(サクヤ)だ。『造った』というのは、正確ではないよ――」  海里(カイリ)は存分に楽しんだ電子タバコを、朝比奈(アサヒナ)に礼を言って返す。 「――君は『生まれてきた』んだ」  咲耶(サクヤ)機械(クローム)が剥き出しの、自分の手首を見つめる。  その腕は確かに機械(クローム)で出来ていた。 【此花咲耶(フラワードリフト)】の中で見た記憶が確かなら、咲耶(サクヤ)の身体はやはり、マキシと同じ戦闘義体(ウォーフレーム)だという事だ。  母・神耶(カミヤ)ケイが何故、デーモンが持ちうる意識体に人の作為が入り込まないように種をデザインしたのか、咲耶(サクヤ)には分かる気がした。 「いつの日か“お前はヒトではない”と存在を完全に否定されたとしても、オレはオレだと心の形を保てるように……か……」  咲耶(サクヤ)がそういうと、海里(カイリ)はまたクックと笑った。 「彼女は昔からそう……いつも少し先を見ている。解答者(アンサラー)とはよく言ったものね」  懐かしそうに、優しい顔でそう言う。  それだけに神耶(カミヤ)ケイを身内の策謀に殺された彼女の、その怨念の深さが知れると言うものだった。  晴らしようのない憎悪。  その為に海里(カイリ)は、咲耶(サクヤ)を利用した。自分も彼女を、彼女と同じように恨むべきだろうか?  そう自問するが、答えは返ってこない。  少なくとも神耶(カミヤ)ケイは、それすらも「どうするかは自分で決めろ」と、そう遺してくれたことだけはわかった。
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