20人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ
32 宗像月臣:Demon Tuner
「それで陣笠の旦那はこの後、どうするンだ?」
左手で器用に電子タバコを仕舞いながら、朝比奈が聞く。
「【此花咲耶】が消滅したわけではないはずだから、私の復讐に付き合ってくれると言うのであれば、助かるのだけどもね?」
「海里、それは咲耶に死ねと言っているのと同じでしょう」
冗談めかして言ったつもりの海里に、マキシが噛み付く。
「オレが存在する限りは【冬寂雪花】が【此花咲耶】の能力を抑制しているのか……」
「しかも【此花咲耶】は貴方の意思でしか起動できないから、私の計画のためには、十分に枝葉を伸ばした状態で貴方に死んでもらうしかない」
「そういう事なら、お断りするしかないですね」
咲耶が生真面目に答える。
ふと、そこで自分の立場を思い出した。
「――あ……そうするとオレは、職を失うのか」
「そうなるわね。いう事を聞かない企業工作員を雇って置けるほど、ウチは儲かっては居ないわ」
実際のところ儲かっていないこともないし、だいたい、企業工作員のような特殊な人員は雇う側からすれば、無駄飯を食わせられる人数がそのまま保有戦力を意味している。
工作員や即応部隊という会社員として建前上の役職を持ってはいるが、何ということはない。大昔の剣客、食客、用心棒とそう立場は変わらない。
朝比奈のような荒事請負が、喧嘩商売や剣客商売に被れているのも似たような理由だった。
だから特殊なデーモンの身柄を確保しておくという意味も考えれば、ここで咲耶はおろかM4X1のマキシも、それこそ、金を払ってでもスカウトするような場面ではあった。
だが海里はあえてそうはしない。
あっさりと会社を抜けることを認められ、咲耶は拍子抜けした顔をする。陣笠を軽く持ち上げて海里を見つめるが、彼女の言葉に嘘はなさそうだった。
「……良いんですか? オレ、それにマキシ姉さんも、試験機や実験動物としての価値はあるんじゃ?」
「陣笠の旦那よ、それを自分で言うと相当シュールなンじゃないか?」
「まあ、人間じゃあないらしいですしね」
咲耶は斬られた手首の、機械の断面を見せて笑う。
「それをシュールだというンだがね……」
そんな咲耶を、朝比奈は頭を掻いて、まんざらでもなさそうに見つめている。
『うれしそうね?』
「陣笠の旦那とマキシの嬢ちゃんがデーモン? まあ人造人間だってのには驚いたが……そもそも脳みそ以外を機械に変えちまう戦闘義体なんてものがあるンだ。脳みそを機械に置き換えられると言われたところで、まあそう言う技術もあるだろうさ。さっきも言ったが、今更それを珍しがる時代でも無かろうよ」
「それでも、自分と似た異質の存在を、ヒトは恐怖すると思うのだけど?」
面白そうに海里が言う。
「俺は別に、陣笠の旦那の人格になんぞ期待しちゃいねえンよ。ただ、ウチの組が陣笠の旦那に大きな借りがあるだけだ。旦那が何者であれ、俺は荒事請負だ。通すべき筋は通すのが極道ってもンよ」
それは、咲耶が自らの意思で行動して勝ち得た信頼であり、彼が化け物でああったとしても、朝比奈からすれば組の危機を救われた凄腕に違いはなかった。
システムである経済圏や企業にデーモンをヒトと認めるルールはないが、極道に生きる荒事請負がその実力から咲耶を“個人”と捉えて遇している。
それは企業に生きる人間には無い感覚で、海里がこのニュートウキョウに齎そうとした事、そのものだった。
「世の中の人間すべてが、そんな考え方なら軋轢も生まれなかったのでしょうけどね」
先の無い話だと、海里は思う。
だが、朝比奈の答えは意外なものだった。
「世の中全員、俺と同じ考え方なんてゾッとしないね。荒事請負は所詮、極道だぜ? 皆が皆、ヤクザになっちまったら商売上がったりなンよ」
それは古典を学び、暴力を信仰する荒事請負の死生観にちかい考え方で、旧体の継続と権威の保持に腐心する産業複合体側に立つ海里からすれば羨望すらあったが、彼女がやろうとしていることは、システムに漬かり切った人間を何の保証もない在野に撒く行為だ。
ヒトという文明と技術に依存する種は、環境変化に著しく弱く、進化の速度は皆無といって良い。
そのヒトという種に、絶えず進化と変化を繰り返するデーモンというものを植え付ける行為が、正気の沙汰ではないことは彼女もよく理解していた。
「だけど、既に賽は振られたわ」
カドクラの人間らしく、或いは、現在世界を破壊しようと目論む悪党らしく海里はクックと笑う。
「予定通りとは行かなかったけど【此花咲耶】によって、幾らかのデーモンの種は撒かれた。それが成長して、何を壊し、何を生み出し、何を変えるのか……それが今から楽しみだわ」
「俺の右腕に取り付いたデーモンみたいにかい?」
ドローンが応急硬化泡剤で固定している右腕を指さして言う。
「デーモンAIは絶えず変化して成長する。いつの間にか体を乗っ取られていたなんてことにならない様、貴方もゆめゆめ気を付ける事ね」
「厄介なもンを押し付けられちまったな」
そう言うと朝比奈は立ち上がった。
「さて、そろそろ涼風が着くころだ。そろそろカドクラの部隊もここへ向かって来るんじゃないか? 陣笠の旦那、引き上げるなら乗せてくぜ?」
「あ、少し待ってくれ朝比奈さん」
そう言うと、咲耶は六尺棒を手にしたまま、事件の始まりである“流星”の方へ歩き始めた。
海里は止めるでもなく、それを見守っている。
「それを破壊するということは、私の元を去るという事だな?」
「ええ、とりあえずは朝比奈さんのところに世話になるつもりです」
「手首のスペアは送っておこう。トバ組だったな? スクリームフィストの」
「ありがとうございます」
「しかし良いのか? それは記憶の上では、お前の母親の脳標本だぞ?」
そう言うと、咲耶の歩みが止まる。
そして超級魔術師の肩書を誇示するように、トレードマークの陣笠の陰から海里を流し見た。
「知っています。でもこれは本物の、神耶ケイの脳標本じゃあない」
日が暮れて、辺りはマイクロ波受信施設の照明の明かりに切り替わっていた。
いくらかは【金鹿竜】の光線で断線していたが、それでも不夜城と揶揄されるニュートウキョウの膨大な消費電力を、昼夜の区別なく支える施設の照明は明るい。
「そもそも、デーモンの種をばら撒くのを計画したのは、アナタじゃないでしょう?」
「ほう?」
「復讐のくだりはともかく……デーモンAIの書類上は理解していても、技術者でも魔術師でもないアナタがこの計画を立てるとは考えにくい……それに……」
「それに?」
「海里社長が立てたにしては、計画が大雑把すぎるんですよ……」
「ああ、それはまあ、たしかに」
妙なところで海里が納得する。
「アナタの記憶も見ました。宗像月臣は迦具夜へ向かうと言っていた。外宇宙探査用の月開発基地『迦具夜』……本物の脳標本はそこにあるはずだ。あの男といっしょに――」
いつの間にか、空に月が昇っていた。
「神耶ケイを殺したニュートウキョウとカドクラ……或いはこの進化を拒む世界そのものに復讐しようとしている人間が後一人……宗像月臣……オレの記憶の上での父が、もう一人の黒幕だ」
海里に対してとは打って変わって、少し苛立った様子で咲耶は六尺棒を脳標本の納められた縮退粒子演算器に突き立てた。
最初のコメントを投稿しよう!