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33 魔術師、野に下る:Resign
「【冬寂雪花】」
己の心を形成しているデーモンAIの名を呼び、カタカタと古めかしいコンソールを叩く音が鳴り、咲耶の六尺棒を黄金の輝きが伝う。
一つ目の黄金の骨が縮退粒子演算器に埋め込まれるように【此花咲耶】の影響を最小限にして出現した。
次の瞬間、内側から外装を突き破って巨大な氷塊――防壁が生える。それは一つ生えれば、後は一斉に。
氷の花弁が開く様に凍り付き、破壊しながら成長し、やがて演算器を突き破って、氷塊に機械をバラバラにして埋め込んだような奇怪なオブジェとなって止まった。
「これは……破壊しておきます」
「父への反抗?」
「父で、あるなら……ですが」
咲耶を形作るデーモン。そのシナプス配列の素体となった記憶痕跡は三人。
どちらのデーモンでも使われていた神耶ケイの記憶痕跡。
人格の主体である【冬寂雪花】の半分が門倉海里。
そして最初にこの体に発生したデーモンである【此花咲耶】の片割れが宗像月臣。
デーモンAI【此花咲耶】に人格は存在しない。しかし衝動のようなものは存在していて、今もその感覚がある。
その衝動を封じるために【冬寂雪花】はこの形になったのだろうかと、咲耶は歪で巨大な氷のオブジェと化した“流星”を見上げた。
「昨日の晩、こいつを観測したときから、世界がひっくり返ったような気分ですよ」
雪花の氷塊に半ば埋め込まれたようになった六尺棒を引き抜こうとしていたが、深く差しすぎてしまったせいか、氷と一体化してしまい抜けない。
諦めて手放し、少し離れてそれを見上げた。
昨日、落ちてきた時は“流星”だったもの。
それは縮退粒子演算器として稼働し、デーモンの種をばら撒き、そして咲耶の見る景色を一変させた。
自分はヒトではない。
だが状況を鑑みる程度には、咲耶は冷静だった。
泣いたり暴れたりもしないし、そういう気分にもならない。
あるいは【此花咲耶】がヒトの衝動のようなモノを受け持っていて、咲耶という人格はそれを律する過程で【冬寂雪花】として成長したのかもしれないと、何とはなしに解釈し、自分自身がそれで納得していた。
「しかし……機械の身体っても、疲れはするんですね」
生身と認識していた時は、長い時間センサ・ネットへ潜ったりして肩が凝るのはそういうものだと簡単に思っていたが、いざ機械の身体と知ったなら、肩が凝らないようにデザイン出来るだろうにと思う。
だがその疲れすら、今は自己の存在を認識する丁度いいよりどころだった。
「機械の身体っていっても、戦闘用ベースのボクと違って咲耶の身体は医療用ベースだからだよ。人工筋肉を動かすのに、循環器系には合成血液が流れているし、免疫系やミクロな生理機能もセンサ・ネットの生命維持アプリが管理しているし……人間の身体とそう構造は変わらないのよ」
そう、銀色の腕を見せてマキシが言う。
確かにプロポーションや体の動作の柔軟性は、機械というよりは人間そのものと言った感じだ。
皮膚もきちんとコーティングされている咲耶はなおさらだ。
「生活する上でのメンタルケアもだけど、人間を模した身体の方が、脳が違和感を受けにくい……だっけか」
「咲耶も今の今まで、自分で気づかなかったのだから、その精度は折り紙付きよ」
「そういえば、メンテナンスなんかはどうやってたんです?」
疑問と言えば疑問だった。
幸いにして大きな怪我も病気もしたことはないし、ある程度はセンサ・ネットのメンテナンスAIアプリが処理するにしても、定期メンテナンスや部品交換は必要だろうと思う。
「定期診断は貴方が眠った後に行っていたし、会社の人間ドックなんかもあったでしょう? 毎回、全身麻酔していたのは貴方だけよ」
「ああ……」
「涼風が到着したようだ。行こうぜ陣笠の旦那。長居は無用ってもンだ」
朝比奈が道側を指さす先を見ると、慌てた様子の六輪オフロード車が停車するところだった。
朝比奈とマキシが歩き出す。
咲耶はふと足を止め、海里の方へ向き直った。
「さて、それじゃあ……海里社長」
「なに? あらたまって」
「辞表もありませんが、永らくお世話になりました」
そう言うと咲耶は陣笠のつばを軽く摘まんで会釈した。
「承ったわ。デーモンなのに、人間より律儀なものね」
「まあ、これでも頑張って社会人やってたんですよ」
「これからは荒事請負として、華々しく死ぬまでニュートウキョウを渡っていくつもりかしら?」
すこし残念そうに海里はそう言った。
「いや、それは御免被ります。だいたい海里社長が復讐なんて考えなければ、オレはアルテミス・ワークスで平凡な会社員として骨を埋めるつもりだったんです。おかげで人生設計が狂っちまった」
そういってハハと笑う咲耶に、神耶ケイの面影を一瞬重ねてしまった海里は思わず頭を振った。
「ウチで超級魔術師なんて肩書もって、平凡な会社員……は少し無理があるんじゃないかしら」
「人間社会に溶け込むって意味では、まあまあ巧くやってたと思うんですけどね……それこそ、海里社長や、父の計画よりもよっぽど真面目に」
そういうと不満そうに口を尖らせる。
「手放すのが惜しくなるわね。やっぱり貴方、デーモンとしても……人間にしても面白い性格をしているわ」
「そりゃ残念でしたね。さすがに殺されかけたんじゃ、見限りもしますよ」
それを聞いて、海里はまたクックと笑った。
「それはそうね……あ、そうだわ――コレ」
咲耶に投げてよこしたのは、電磁加速ハンドガンだった。
意外と重いそれを、咲耶は片手で取りこぼしそうになりながら受け止める。
「マキシに返しておいて」
それを最後に、海里は未練を払う様に咲耶に背を向けて、眠らされたままのヴァレリィの元へ向かう。
それに咲耶は改めて会釈をすると、こちらも相手に背を向けて立ち去った。
次に会うときは敵同士だろうか。
それとも依頼主と違法請負人としてだろうか。
それはともかく咲耶の目下の問題は、現在のそれなりの資産もアルテミス・ワークスに押さえられて手放す必要があることだった。
住処も使えなくなるだろうし、家財も回収できるとは考えにくい。自分の存在がどうこうよりも先に、何かと物入りになりそうだった。
「咲耶さん、お久しぶりっス」
「どうも涼風さん、お待たせしました」
涼風がいつでも出発できるよう待機している。
「まったく……あの時、朝比奈さんに恩売っといて良かったですよ。死にかけた上に、路頭に迷うところだった」
車に辿り着くと、陣笠を持ち上げて顔を見せ、咲耶はそう言って笑った。
「あの時のは、ずいぶん無茶な恩の売り方だったンじゃねえかい?」
待っていた朝比奈も、それを見て笑う。
「そういえば朝比奈さん、腕……」
「ン? ああ、まあ骨やら筋肉やらは完全にイカレてるが、機械と取り換えりゃ問題はねえよ」
「すいません。確か粒子制御デバイス以外は生身だったはずなのに……」
「気にすンな。こういう商売だ、遅かれ早かれ腕の一本や二本は失くしてたさ」
「でも……」
「全身機械の旦那がそれを言ってもな」
そう言って朝比奈はまた笑う。
「生身は生まれた時に持ってたもンだから、そりゃあ惜しいって感覚はあるが、そいつを惜しんで命を落とすのは仕様もないだろ? 人間、マメに変わっていかンとな。アレだ。あー、なんだ?」
「絶えず変質し進化するAI」
呆れた顔で、先に後部座席に乗り込んでいたマキシが補足を入れた。
「そう、そいつだ。それがばら撒かれたんなら、人間の方も変わっていかねえとな」
「粒子センサ・ネットワークも、最初は古いネットを破壊して、それで大騒ぎだったらしいわね。ヴァージョン・アップ紛争も同じ。門倉海里の思惑通り、人間の方が進化せざるを得ない状態にしたのよ」
「人類は地球上で、進化から最も遠い種だから?」
「そういう事」
たしか、そんな話があったのを咲耶は思い出した。
文明が発達するほどに命は永く、世代交代は遅くなっていく。
世代交代が遅い種は進化が遅く、文明によって自らの住空間を構築、或いは環境を改変出来る人類は適応進化すら鈍い。
そんな人類が未知なる外宇宙を目指すには、技術による人造進化が必要だと――
「そうか……やっぱりこれは元々から宗像月臣の計画か……」
その論文を書いたのは、たしか咲耶の父、宗像月臣だったはずだ。
ともすれば一度、父と記憶される彼を問いただす必要があるのかもしれない。
「ところで、ずいぶんと咲耶と仲が良さそうじゃない? 朝比奈さん?」
マキシが、恨めしそうに半目睨んでいる。
「ン? ああ、妬いてんのか嬢ちゃん」
朝比奈が助手席に乗り込みながら言った。
「ばっ……そんなわけないでしょ!」
「咲耶、咲耶とうるさかったからな」
「ちょっとッ! 本人の目の前でッ!」
さっきまでサイボーグのような雰囲気だったマキシが、随分と表情豊かだった。
「まあ……一先ず心配するのは今日の寝床だよね……」
『ウチの店の二階なら開いてるわよ?』
マキシの隣に乗り込んだ咲耶に、収納に一基だけ戻らなかった弁天のドローンが話しかける。
「あ、お世話になれますか?」
『用意させとくわね』
「あー……弁天さん……私もお願い出来ない……かな?」
『ああ、マキシちゃんは私の部屋でもいいわよ?』
「いやいやいや、物置でも良いです!」
『あら残念』
「騒いでないで出発するぞ。カドクラの部隊はともかく、クロハバキ組辺りに見つかったら面倒くせえ」
「了解っス」
六輪オフロード車のハイブリッド・エンジンが唸りを上げて発進する。
座席に身体を深く鎮めながら、咲耶はニュートウキョウの明かりに照らされた夜空を見上げて、深く息を吐いた。
「今日はほんっと……色々ありすぎて、疲れたぁ……」
そう言ってすぐに寝息を立てていたらしいと、後になって聞いた。
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