眠れぬ森

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 むかし、ある小さな王国がこの世界のどこかにありました。  その国は小さかったけれど、自然が豊かで平和な美しい国で、王様も国民に慕われ、生活に満足していました。  この国の王様とお妃に一つ願いがありました。それは子供が欲しいと言うことでした。  そこで王様とお妃は二人で神に祈りました。 「わたくしたちに、子供を一人、授けてください」  その願いは、とうとう神様の聞き届けるところとなり、お妃は身ごもると、女の子を産みました。そして、「ローラ」と名付けられました。  小さな、まさに宝玉のような娘でした。  それで王夫妻は喜び、小さな祝賀を催すことにしましたが、その喜びはあっという間に国中に伝わり、国の民が城に参って、姫の誕生を祝いました。  王夫妻は、祝いに来てくれた人々すべてに、生まれた姫を見せようと思い、短い時間ではありましたが、城に来た者すべてが城の中に入って姫の前に立って顔を見られるようにしたのです。  多くの人がこの姫様の姿をそっと覗き、王夫妻に、 「おめでとうございます」そう言って、何かしらのお祝い物を置いていったりしました。  ただ、そのお祝いの参列者の中に、独り不心得者がいました。(こういう者は、どこにもいるものです)その不心得者というのは、森の奥に長年暮らしている仙女でした。仙女と言えば、いろいろなことを学び身につけていて、奇跡を行ったりすることが出来る者です。本当なら、修行の末に大きな人徳も得られるはずなのですが、この仙女はへそ曲がりなところがあったので、ずっと森の奥に住んでいたのです。そして今回のお姫様誕生の慶事も、森に住む鳥がする噂話を聞きつけて知ったのです。  仙女は、自分がすっかり忘れ去られ、誰もこの祝いについて知らせに来なかったことに勝手に腹を立てて、森を出て城へやって来たのでした。そして、仙女は何食わぬ顔で民衆の一人の老婆という風情で姫の面会の列に加わったのでした。  姫の眠るゆりかごの前に行く順が仙女に回ってきました。小さな姫はスヤスヤとゆりかごの中で眠っています。その安らかな顔をのぞき見ると、どの人もつられて微笑んでしまうような寝顔でした。仙女もまた同じように姫の寝顔を見て、 「おほほほ。これはいい寝顔でございますね」と呟きました。 「そうでしょう、そうでしょう」お妃が仙女に応えました。すると仙女はさらにことばを続けて、 「この娘には寝顔が似合うようで。ならば、この娘に永遠の眠りの時を与えましょう。 この娘は、17才で年が止まり、眠りの使者の来訪を受けて眠りにつく……永遠に」  仙女は地響きのような声で呪いの言葉を発し、バイオリンが悲鳴を上げるような声で笑い、そばの窓からバルコニーに出たかと思うと、懐から小さな瓶を取り出して掲げました。瓶の中から何かの液体が糸を引くようにこぼれ落ちて仙女の頭にかかりました。やがて仙女は一瞬で青白い炎に包まれ灰となり、吹いてきた突風に吹かれて四散しました。仙女は大それた呪いを姫に掛けるため自分の命と引き換えにしたのです。  今起きた一連の事は、本当にあっという間で誰も警戒をしていませんでしたから、仙女の悪意を遮ることが出来ず、 「なんと言うことを……」  王夫妻が慌ててゆりかごをのぞくと、姫が目をパッチリと開いて王夫妻を見て微笑んでいました。  それからしばらく王夫妻は燃えた仙女の言ったことが半信半疑でいましたが、姫は何がどうしても眠ることがありませんでした。  王様は新しく仙女を呼んで姫に掛けられた呪いについて助言を求めました。呼ばれた仙女は言いました。 「姫様は、17才までは成長いたしますが、それを最後に年を取らなくなります。そしていつか『眠りの使者』が現れ、その使者が触れると眠りにつき、永遠に目覚めないでしょう」 「その呪いは、解くことが出来ないのか?」 「はい。これは、その仙女が自分の命と引き換えに掛けた呪い。どんな者にも解くことは出来ません」  王夫妻は失望し、これからどうしたものかと考えましたが、いい案はなかなか浮かびませんでした。  姫様は、しとやかに美しく17才の誕生日を迎えました。  王夫妻はこの日がとても哀しい日であると感じていました。 「姫。おまえが永遠に眠ってしまったら、それは死んだも同然。それではわたしたちの心が張り裂けてしまうようなことだ。だからおまえは眠らずにいることを願う」  王様は家来に命じて国の中の、森の一つの中心に小さな家を建て、そこで姫が暮らせるようにしました。『眠りの使者』というのがどんな相手であるか分かりませんでしたが、とにかくその相手と姫が接触しないようにしたのです。  森は衛兵に守られ、誰も入ることは許されませんでした。姫の周りには身の回りのことを手伝う侍女が数人いました。  家のすぐ前には小さな泉があり、深い透明な水を常にたたえていて、そこには森の中の、鳥やネズミ、鹿などの動物たちが入れ代わり立ち代わり訪れました。  姫は、そうした幽閉状態の自分を少し気に病んでいましたが、まだ若かったので希望を捨てずにいました。「いつか、よい答えが出る日が来る」そう思っていました。それに、『眠りの使者』という相手がどういう人でどこにいるのかも分からないのです。もしかしたら、ずっと会わないのかもしれないし、相手が使者だと分かりさえすれば、手を触れないようにすれば眠らずに済むのだとも考えました。  代わり映えのない月日が流れていきました。ローラ姫は、いつだってずっと目を覚ましていますから自分の身の周りのこともすべて自分でやるようになっていました。それにある限りの本を読み、あらゆる学問に通じましたし、森の中のどこにどんな木が生えているとか、どこに何の動物が住んでいるとか、そういうことまで知るようになりました。  10年20年の間、そうして生活しているところへいつも父と母が訪ねて来ましたから、なんとか堪えていられましたが、それでもそのうち「いい加減、こういう生活は、やめてしまおう」と思うようになりました。  ローラ姫が遅ればせながら自分の生活に変化をと希望したころ、察知したように父母である王夫妻が年を取って、相次いでこの世を去りました。そして国の土地は他国の物になり、ローラ姫はローラになり、住む森の衛兵は消え、そばにいた侍女も年老いて森を去りました。ローラ姫は、いまだ17才のままですが、時が流れていることには変わりはありません。  もう自分の知る者が森の外に誰もいないと思うと、自分ももう眠っていいと思うようになりました。 「ここにいましょう。ここにいればきっといつか『眠りの使者』が来るはずなのだから」  数十年がたち一人になったローラは、森の奥深く、誰からも忘れ去られました。いえ、覚えている人はいました。けれどそれは、言い伝えとか伝説のようなものとしてでした。 「鬱蒼とした森の中には魔女がいる」  そういう伝承がこの国にはありました。その伝承の森は、大変深く暗いので、ふつうの人はまず足を踏み入れませんでした。猟師だとか道に迷った旅人がたまに入るだけでした。 「森で道に迷っていたら、それは美しい少女に会った。きれいなものだったろうが、ずいぶん古い服を丁寧に繕って着ていて、傷んだ家に住んでいる。家の前には泉があった。そこで朝まで休ませてもらったんだ」  旅人は森を出て町の宿で、そんな話をしましたが、 「あの森の中に若い娘が一人で住んでいるわけがないだろう。あんた、魔法使いにでも幻をみせられたのサ……こわい、こわい」  誰も話を信じようとはしませんでした。  この国の王子は冒険好きで、方々の見知らぬ土地を旅したりしていました。その王子が住む国の片隅にある森に、そんな奇っ怪な噂話が伝わっているのを知り、行ってみたくなりました。 「誰も付いてくるな。一人で行くのがいいのだ」  家来が止めるのも聞かずに、王子は毎日毎日、森に通いました。 「古い家。そしてその前に泉。美しい少女」  そんなことをブツブツ言いながら森を歩いていたときでした。少し先を一頭の鹿が歩いて行くのが見えました。そして、 「あの鹿は水を飲みに泉へ行くのでは無いか?」と考えて、そっと鹿の後を付いていきました。  少し視界が開けて日の光が木々の間から差し込む場所がありました。そこに、家と泉が、噂のとおりにありました。 「これは。見つけたぞ!」  木の陰から躍り上がって駆け出し、王子は家の前に来ました。  ドアの前に立って中の様子を探りました。どうも人がいる気配がありました。それは、中の人にも同じように感じられたようで。ローラは、人の気配を感じて立ち上がり、「また、森を迷って人が訪ねて来たのでしょう」と思いながらドアを開けました。  二人は開け放たれたドアの前で雷に打たれたように立ちすくみ、もう相手から目が離せないのでした。  王子を一目見て、ローラは「この人が眠りの使者」と分かりました。彼女は、王子に触れぬようドアから跳ねるように数歩下がりました。 「私に触れないで。そうでないと、私は永遠の眠りについてしまいます」 「え?そんな!」  王子はドアからローラに向かって数歩進み。それに押されるようにローラはまた下がっていきます。  ローラは、王子に自分に掛かっている呪いの一部始終を話して聞かせました。 「そんなことが……。なんと、おかわいそうに。これまで100年にもわたってここで暮らして来たのですね。寂しかったでしょう」  ローラの瞳からボロボロと涙がこぼれました。その姿を見て、王子はすぐに「この人と共にありたい」と思いました。  その日以来、王子は毎日、ローラの元へ通いました。王子の父である王様とお妃は息子がどこへ日参しているか咎めて尋ねましたが、王子は答えませんでした。  王子は毎日、何かしらの土産を持ってローラの元を訪れました。そして、話をし、お茶を飲み、食事もしました。それから、連れだって森を歩いたり、泉に来る動物と遊んだりしました。  二人の心は、自然と一つになっていきましたが、互いに相手に触れることが出来ないもどかしさが湧き上がってくるのでした。  二人にとって、もどかしく楽しい日々が続きましたが、月日はまたしても試練を提示してきます。  王子は父親の後を継ぎ王となりました。それだけ王子が年を取ったと言うことです。それでもローラの元へ足繁く通っていたため、国の政治がおろそかになり乱れ、側近として長く仕えていた大臣に足を掬われて国ごと乗っ取られてしまったのです。大臣一派に命を奪われそうになりながら王は逃げ出してローラの元へやって来ました。  王は、彼の姿を見て手を貸そうとするローラを制止してベッドに横たわり言いました。 「わたしは自分のふがいなさから国を失い、追われてしまった。そして君とも、もうこうして一緒に過ごせる時間が無いようだ……愛しているよ、ローラ」 「わたしも、わたしもお慕いしています。わたしも、あなたと共に……」  いつの間にか年を取り、傷つき、余命幾ばくも無くなったかつての精悍な王子は、いまだ17才のローラのその唇に、その手にさえ触れることなく過ごしてきた幾年かを走馬灯のように思い出していました。そして、最期に何も恐れず手を取り合い二人して眠りにつきたいと願いました。  遠い空の果てのどこかで声がしました。 『ああ、ローラというのは、あのときの娘か。そうか……だが、おまえの呪いは運命でもあるのだ』  神様はローラと傷ついた王の姿を不憫に思い、二人を空に上げて二つの星にしました。そして、誤って触れあってしまわぬよう、二人の間に星の川を作って分けたのだということです。 二つの星が瞬いているのは、愛のささやきなのでしょう。
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