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しかし千鶴は、
「てっちゃん、落ち着いて。私、ママじゃないわ。愛李よ」
と、言った。
よく見ると、千鶴そっくりではあるが、どこかあどけなさを残している。
「愛李……なのか? でもどうしてここに?」
「ごめんね、てっちゃん。実は、ママのふりをしてメールをしていたのは私なの。てっちゃんがかわいそうで……本当にごめんなさい」
これで長年の謎が氷解した。それにしても、愛李は思いやりのある人間に育ったものだ。千鶴を失って辛いのは、愛李だって一緒のはずなのに。
「愛李……大きくなったな。今、大学生か?」
「そうよ。医学部に進んだの」
「将来、医者になるのか?」
「うん。ママみたいな病気の人の命を救うの」
「玲央は元気か?」
「元気よ。てっちゃんに似て、とっても甘えん坊だけどね」
哲司から、自然と笑いが込み上げてきた。愛李も一緒になって笑った。
「ねえ、てっちゃん。私が医者になったら、玲央と三人で一緒に住もうよ。だって、てっちゃんは玲央のパパでしょ? おじいちゃんたちも高齢だし、私、玲央の後見人になるつもりなの」
「それは駄目だ」
哲司は気まずそうに、目を伏せながらかぶりを振った。
「なんで?」
「愛李が俺をどう見ているのか知らないが、俺も一応男だぞ。お前みたいな若い娘が、俺みたいなおじさんと一緒に住んでいいわけがない」
「私に誘惑されたら、我慢できる自信がない?」
愛李はいつかのように、にやにやしながら哲司をからかった。
「そ、そういう訳じゃなくて……」
「我慢なんてする必要ないよ。いっその事、てっちゃんと私が結婚しちゃえばいいんじゃない?」
「な、何言ってるんだ。愛李はまだ二十歳じゃないか」
「もう二十歳よ。子供じゃないわ。私、てっちゃんの事が好き」
愛李はそう言って、自分から哲司を抱きしめた。彼女はどこまで本気なのだろうか。
「わかった。医者になれたらな」
哲司は優しく愛李を自分の体から離した。
愛李は幼くして父親を失っている。恐らくその影を追い求めて、二十歳も年上の哲司に惹かれたのだろう。もちろんこれは疑似恋愛だ。そのうち愛李は若い男と恋に落ち、哲司のもとを去っていくに違いない。そうだ、自分の事を愛してくれる女性など、この世には存在しないのだ。
「愛李、さっきから傘をささないで……風邪ひくぞ」
「大丈夫よ。私、雨に濡れるのが好きなの。どうしてかしらね?」
それを聞いた哲司は、急に千鶴の事を思い出し、衝動的に愛李を抱きしめてキスをした。愛李は少し驚いた様子だったが、全く抵抗しなかった。哲司は我に返り、狼狽した。
「す、すまない。思わずとんでもない事をしてしまった」
「なんで謝るの? 私、全然嫌じゃないよ?」
愛李は穏やかに笑った。
「実はね、私が二十歳になったら、てっちゃんにこれを渡すようにママから言われたの」
彼女はそう言ってクラッチバッグから古びた封筒を取り出した。千鶴の字で、『てっちゃんへ』と書かれている。
「てっちゃん、開けてみて」
「う、うん」
哲司は開封して手紙を取り出した。そこには、綺麗な字でこう書かれていた。
「甘えん坊のてっちゃんへ。この手紙を読んでるってことは、愛李も無事二十歳になったのね。一生懸命勉強して、大学に進学しているかな? ちゃんと医者を目指してる? 玲央はすくすく育ってるかな? 今頃はもう小学生だよね……てっちゃんは元気? 私はいつでも天国から見守ってるよ。食事は三食、栄養のバランスの取れたものをしっかりと食べるのよ。お酒はほどほどにね。アルコールと一緒にチーズを食べるといいわ。可愛いてっちゃん……お姉ちゃんの本当の気持ち、まだ伝えてなかったね。今までは自分に素直になれなくて言えなかったけれど、覚悟を決めて伝えるね。本当はてっちゃんのこと、愛してる」
一緒に手紙を見ていた愛李が、千鶴そっくりの笑顔を作って、こう言った。
「ママが恋のライバルだなんて、なんだかドラマみたいよね」
(了)
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