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大原美琴
四月一日、土曜日。
雨が静かにアパートの窓を鳴らす、エイプリル・フールだった。佐山哲司は、いつも通りの時間に起き、土曜日だという事を思い出して、再び眠りについた。
メールの着信音がして二度寝から現実世界に引き戻されると、哲司の携帯には、朝から嘘八百を並べ立てたメッセージが大量に届いていた。
「宝くじに当たった。全額寄付する」
「女優の車に追突されて、付き合う事になった」
「芥川賞を受賞したが、辞退したい。どうしたらいいだろう?」
哲司は自分もなんとか気の利いた嘘をついてやろうと思い、しばらくスマホの画面を睨みつけながら考えていた。
「彼女ができた。今からデートする」
虚しい嘘だった。哲司には、大学を卒業してから、なんと六年間も彼女がいない。彼は、見た目は決して悪くない。むしろ、イケメンの部類に入る。冷たくされるのが怖くて、女性に対して積極的になれないのだ。彼は何よりも失敗が恐ろしい。
哲司は顔を洗ってから、テーブルの上に置かれた電波時計を見た。既に正午を回っている。床屋の予約は午後一時。急いで昼食を済ませなければならない。その後、二時から美容院を予約している。
わざわざ床屋と美容院の両方を予約しているのには訳がある。哲司は、まず床屋で顔をきれいに剃ってもらった後、美容院で髪をスタイリングしてもらう。彼は人よりだいぶ髭が濃い。自分で剃ろうと思っても、どうしても剃り残しが出来てしまうのだ。
今日は生命保険のセールスレディとの合コンがある。よりによって、エイプリル・フールに合コンするなんて、なんだか騙されているような気分になってしまうが、恐らくこれは本当だ。そのためにも、入念に身ぎれいにしていかなくてはならない。鼻毛なんて伸びていたら最悪だ。
その点、床屋では鼻毛も切ってくれるし、耳掃除までしてくれる。もちろん、美容院にはないサービスだ。もし、床屋と美容院の両方のサービスを兼ね備えた店ができれば、利用する男性客も多いのではないだろうか。
高円寺と阿佐ヶ谷のちょうど境目に、新しく動物病院が出来た。哲司はその近くのアパートで独り暮らししている車の営業マンだ。営業成績は良くない。哲司は女性同様、積極的に営業をかける事が出来ないのだ。顧客に厳しい言葉をかけられるのが怖い。気付くと車の長所より、短所の方を詳しく説明してしまっている。後で顧客に「あの営業マンに騙された」と思われたくないのだ。
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