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自分の一番古い記憶について、思いめぐらせるならば、生まれて初めて狩を時のことだろう。
狐の両親は自分が手本をみせて野ネズミを狩る技をしめすのだが、わたしには全く理解できなかった。
理解できない、というのではないのだろう。
両親がしていることはわかる。
その行為が、一筋縄にいかず大変で、つまり野ネズミも必死に逃げるし、でも自分たちも獲物を食べたいわけだし、狩りが成功すれば腹は満たされるし、かつ、獲物がとてもうまいものだということもわかるのだ。
しかし、両親が自分に野ねずみを獲る行為を、懸命に、なにがなんでも覚えさせようとすることに合点がいかなかった。
「おかあ、なんでそんなことを覚えなきゃいけないの」
わたしがそう問うと、母狐は怪訝な顔をした。
あるいはは母の頭の中には「なぜ」という概念すらなかったに違いない。
生きることはすなわち食べることだ。
子狐が親から自立して生きていくには、狩りをして食料を獲得することが必要だ。
その術は、獣にとっては生来身についている部分もある。子狐同士でじゃれあい、甘噛みをしたり、とびかかったりして、獲物を得る技を遊びの中で体験している。
さらにこの時のように、親狐からやり方を伝授される部分も多いのだ。
その作業はいたって自然なのだ。親として子が自立するための愛情であり、処世術なのだ。
成長した今のわたしならわかるが、その時は混乱していた。
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