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形見分け
「一番幸せな死に方は、生きている人間へ問題を残さないことだと思う」
耳が拾ってしまったからには振り向くしかなかった。
六畳一間の入り口で、兄がわたしを見下ろしていた。
両手に持っているマグカップはわたしたちが子どもの頃に使っていたもの。静かに湯気が立っている。
「よっこいしょ」
兄はわたしの横を通り、ちゃぶ台を挟んでわたしの向かいに腰を下ろした。
それから、使い古されたちゃぶ台の上マグカップを置く。
久しぶりに見た兄の顔には皺が増えて、髪には白いものが混じっている。
たしか十五歳上だから、今年で四十歳のはず。
少し、痩せただろうか。骨ばっている手の甲に視線を落とす。
ティーバッグが入ったままのマグカップからは緑茶の爽やかな香りが昇っている。
その表面に、なんともいえない表情になっている自分の顔が映った。
兄が大人になったように、わたしだって大人になったのだ。
「ごめんね。何もかも任せちゃって」
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