あの頃の少女のままでいて

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あの頃の少女のままでいて

今となっては、儚い恋物語となってしまっているワタクシの遠き日々の想い出。 今でもワタクシは東京の町の中で色んな恋を味わいながら、誰かと出会っては離れて行くばかりのサヨナラだけの人生の中で、カラオケボックスで独りで歌を唄ってる。 棺桶の中へ逝く前に、カラオケボックスの中へ入ろうかしらねぇ?死んでしまったら、それこそ、恋の蛍も冬の花火となって散ってしまうばかりだもの。希望の光も消えてしまう筈だしねぇ………。 言い訳ばかりしてても前に一歩も進める筈も無くて、恋をするだけ無駄なんてとも思う事も出来ず。例え、恋の果実は実らなくても、誰かを大切に想う気持ちは大切にパンドラの匣の中に閉じ込めて置く事にして見る事にしたのよね。何時かは、希望の光が飛び出して来るかも知れないしね? そんな中、1度は十年以上暮らした町並みに佇んでいるワタクシの姿。その場所は、東京都立川市にある昭和記念公園。実は、その少女の出身地が奇遇にも立川市だったの。そうとは知らずに暮らしてたんだけど、案外、すれ違ってても気が付かなかったのかも知れないわねぇ?そこのアナタにだって、親の一人や二人はいる筈だと思うけれど、もし、その人物が赤の他人だったとしたら、出逢う事って出来たのかしらね? 所詮、この世で生まれる人間関係なんてモノは常に儚く、常に脆く。でも、赤の他人と何時かは巡り合うかも知れないものだから、そんな関係性を唱える時に、人は赤い糸で繋がってるだなんて洒落を効かせて口走るのかしらねぇ?託宣の神のチカラを未だに遺してるワタクシなりにモノ申してますけれど。 これは、風の便りに聞いたお話なのですが、現在、その少女は聖女であるみたいなのですけれど。彼女はワタクシの知らない場所で結婚したみたい。でも、相手は20歳は上に離れてる人物で連れ子がいるみたいなんだけれどね。彼女は一人も出産している訳では無いらしくて。もし、出産してたとしたら、どちらの子供を大切に出来るのかしらね?そんな事を想えるからこそ、血は繋がっていなくても本当の母親らしくいられるのかも知れないとワタクシなりに察しが付きます。 やはり、彼女こそ大地の女神の化身。 何時かは、ワタクシもその聖女に会えるかしらね?その刻が訪れるまで、元気でいてねと祈り続けてます。今日の夜も又、永遠のうたたねの中でワタクシは眠りに就きます。 ………お休みなさい。 ………夢の島で逢いましょう? ………お母さん。。。 《 to be continue 》
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