しげしの道 B.化け物屋敷の住人達

2/7
前へ
/7ページ
次へ
 2.『 ラジオ 』は禁句 ?  小学校の音楽の授業で、『 かあさんの歌 』を習った。  2番の、終わりの歌詞。  『 ふるさとの冬は さみしい せめてラジオ 聞かせたい 』  いつもの悪ガキ達が、これにケチをつけ始めた。  「 テレビどころか、ラジオもないんか、この家は!」  「 バカ、テレビが、なかった頃の、大昔の歌よ !」  「 大昔言うたら、縄文時代か !?」  この後、歌詞のあちこちへの、ケチつけ合戦が、延々と続く。  音楽の先生が、怒って、職員室へ帰る。  クラス代表の女子が、職員室へ行き、泣いて謝り、教室に戻ってもらう。  いつもなら、そうなるはずだった。  「 うるさい!」  一瞬、教室内が、静まりかえった。  いまだかって、なかった展開。  怒鳴ったヤツが判明し、さらなる衝撃が!  『 毒舌のしげし !   今日に限って、ナゼ !?』  ケチをつけさせたら、右に出る者なし。  いつもなら、先頭に立ってケチをつけるのに ……?  実は、当時のぼくには、『 ラジオ 』は禁句だった。  父が、3年間の入院・療養を終えて帰宅。  『 もう大丈夫、これで貧乏脱出だ! 』  などと、大喜び。  確かに、経済状態は、少しずつ、改善していった。  だが、逆に、悪くなったものが、ある。  それは、両親の仲。  父が療養中の3年間、2人は、ほぼ会わず。  母は、数度しか、見舞いに行ってないのだ。  療養所は遠方、バス代が、高かったので。  愛があれば、3年離れてても、帰れば元通り。  現実は、それほど甘くはない。  ぼくら3兄弟は、すぐ、それに気づかされた。  父が帰り、1週間も経ってない、夕食の時。  母が、父に、口答えを!  居合わせた子どもたちは、凍り付いた。  父の入院前は、考えられない事だった。  夕方、父が、いったん食事に帰るまで、自分も食事しない。  夜中、父が仕事から帰宅するまで、絶対に、先に寝ない。  もらった物も、子どもには触れさせず、先に、父に見せる。  それが、母だった。  父が療養所から帰り、数週間経った、真冬のある夜。  ぼくは、寒さのせいか、なかなか、眠れずにいた。  台所から、両親が言い争う声が。  ( 台所と6畳1部屋に5人暮らし、風呂等なかった )  『 またか 』と、気が滅入った。  「 私が見舞いに行った時、あんたは、言うたんよ。  『 ラジオを買うてくれ 』と …… 」  と、涙声の母。  3年間の退屈な入院・療養生活である。  確かに、当時の経済状態では、高価なテレビは、無理な気が。  『 安いラジオぐらい買ってくれと言って、何が悪いのか?』  「 子どもに、明日、食べさすお米にさえ、困ってる。  その時に、あんたは、ラジオを買うてくれいうたんよ。  あんたは、いつも、自分のことしか、考えてない !」  父は、黙ってしまった。  驚いた。  『 ウチは、そこまで、貧しかったのか !?   ラジオを買う金すらも、なかったとは!』  母は、小学校で必要な金は、必ず月末までに、用意してくれた。  小学生だったぼくは、そこまでひどい状況とは、気づかなかったのだ。   ぼくは、パジャマ姿のまま、家を抜け出した。   近くの公園で、ブランコに乗った。  『 母ちゃんも、父ちゃんも、がんばってる。   どちらも、全然、悪くない。   どうして、こんなことに!?」  涙が、止まらなかった。  身も心も、凍るようだった。  ( 3. わが家はどこへ? に続く)
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

56人が本棚に入れています
本棚に追加