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2.『 ラジオ 』は禁句 ?
小学校の音楽の授業で、『 かあさんの歌 』を習った。
2番の、終わりの歌詞。
『 ふるさとの冬は さみしい せめてラジオ 聞かせたい 』
いつもの悪ガキ達が、これにケチをつけ始めた。
「 テレビどころか、ラジオもないんか、この家は!」
「 バカ、テレビが、なかった頃の、大昔の歌よ !」
「 大昔言うたら、縄文時代か !?」
この後、歌詞のあちこちへの、ケチつけ合戦が、延々と続く。
音楽の先生が、怒って、職員室へ帰る。
クラス代表の女子が、職員室へ行き、泣いて謝り、教室に戻ってもらう。
いつもなら、そうなるはずだった。
「 うるさい!」
一瞬、教室内が、静まりかえった。
いまだかって、なかった展開。
怒鳴ったヤツが判明し、さらなる衝撃が!
『 毒舌のしげし !
今日に限って、ナゼ !?』
ケチをつけさせたら、右に出る者なし。
いつもなら、先頭に立ってケチをつけるのに ……?
実は、当時のぼくには、『 ラジオ 』は禁句だった。
父が、3年間の入院・療養を終えて帰宅。
『 もう大丈夫、これで貧乏脱出だ! 』
などと、大喜び。
確かに、経済状態は、少しずつ、改善していった。
だが、逆に、悪くなったものが、ある。
それは、両親の仲。
父が療養中の3年間、2人は、ほぼ会わず。
母は、数度しか、見舞いに行ってないのだ。
療養所は遠方、バス代が、高かったので。
愛があれば、3年離れてても、帰れば元通り。
現実は、それほど甘くはない。
ぼくら3兄弟は、すぐ、それに気づかされた。
父が帰り、1週間も経ってない、夕食の時。
母が、父に、口答えを!
居合わせた子どもたちは、凍り付いた。
父の入院前は、考えられない事だった。
夕方、父が、いったん食事に帰るまで、自分も食事しない。
夜中、父が仕事から帰宅するまで、絶対に、先に寝ない。
もらった物も、子どもには触れさせず、先に、父に見せる。
それが、母だった。
父が療養所から帰り、数週間経った、真冬のある夜。
ぼくは、寒さのせいか、なかなか、眠れずにいた。
台所から、両親が言い争う声が。
( 台所と6畳1部屋に5人暮らし、風呂等なかった )
『 またか 』と、気が滅入った。
「 私が見舞いに行った時、あんたは、言うたんよ。
『 ラジオを買うてくれ 』と …… 」
と、涙声の母。
3年間の退屈な入院・療養生活である。
確かに、当時の経済状態では、高価なテレビは、無理な気が。
『 安いラジオぐらい買ってくれと言って、何が悪いのか?』
「 子どもに、明日、食べさすお米にさえ、困ってる。
その時に、あんたは、ラジオを買うてくれいうたんよ。
あんたは、いつも、自分のことしか、考えてない !」
父は、黙ってしまった。
驚いた。
『 ウチは、そこまで、貧しかったのか !?
ラジオを買う金すらも、なかったとは!』
母は、小学校で必要な金は、必ず月末までに、用意してくれた。
小学生だったぼくは、そこまでひどい状況とは、気づかなかったのだ。
ぼくは、パジャマ姿のまま、家を抜け出した。
近くの公園で、ブランコに乗った。
『 母ちゃんも、父ちゃんも、がんばってる。
どちらも、全然、悪くない。
どうして、こんなことに!?」
涙が、止まらなかった。
身も心も、凍るようだった。
( 3. わが家はどこへ? に続く)
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