しげしの道 B.化け物屋敷の住人達

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 3.わが家はどこへ?  それから、数日後。  食後、父が食べ終わった自分の食器を、流しに運んだ。  子どもたちは、互いに、顔を見合わせた。  母は、無表情で、食べ続けている。  『 わが家は、いったい、どこへ行こうとしてるのか?』  父の入院まで、家事は、すべて、母がしていた。  母は専業主婦、父は、夜中まで、タクシー運転手として働いていた。  父が入院中、母は、外で働き始めた。  家事は、母と子どもたちで分担。  父は、療養所から帰っても、すぐに職場復帰は無理だった。  しばらくは、家で、静養することに。  それで、母は、外での仕事を辞めなかった。  家事は、あいかわらず、母と子どもたちで分担。  父は、もう、家事なら、できる状態だったが、全くせず。  が、当時、それを不自然と思う者は、いなかった。  父は、まさに、『 お客さん 』状態。  今思えば、かなり、居心地が悪かったろう。  食後、自分の食器を、流しに運ぶ。  全く簡単な事、誰にでもできる事、に違いない。  が、そこに至った、父の心の軌跡は、単純ではなかったろう。  仕事復帰後の父は、昔とは、様変わり。  『 仕事中毒 』は完全に卒業、「 一に健康 」が口癖に。  肺の病気が再発し、家族に、ふたたび、迷惑をかける。  そのパターンが、父には、一番怖かったに違いない。  仕事復帰後も、父の、食後の食器片づけは続いた。  父は、夕食後、すぐにまた、仕事に行かねばならない。  それで、『 食器洗い当番 』とかは、しなかったのだが。     ぼくらも、食後、食器は、各自で流しに運ぶことに。  それまでは、『 食器洗い当番 』任せだったのだが。  入院までは、父の独裁、父がいない間は、母の独裁。  問題は、父が帰ってから。  3年前には戻れず、何かと、夫婦で対立。  やがて、子どもたちの目の前でも、ケンカを始めた。  行き着く先は、離婚?  が、子どもたちは、その言葉を、口にしないようにしていた。  口にすると、現実になりそうな気がして。  ( 4. 家庭内民主主義 ? に続く )  
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